今週はずいぶんしごとした。つもりでいたら、今日はまだ水曜日。今週は長いよー。はやく九月になりませんかね。
九月といえば・・・
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魯の僖公の三十年といいますから、紀元前630年―――の九月のことでございます。
晋の文公、秦の穆公がしめしあわせて鄭を囲んだ。
鄭が覇者である晋に非礼を働き、さらに晋のライバルである楚の国に従う素ぶりを見せたというので、晋とその同盟国・秦が鄭を挟撃したのである。
鄭の文公は大いに恐れた。国が滅ぼされ、自らは追放あるいは誅殺される。そうすれば、子孫は自分を含めた先祖の霊を祭ることができなくなり、自分たちは遊魂として天地の間をさまよい続けなければならなくなるのである。
困ったときのクセで鄭文公が暗い室内で一人ツメを噛みながら悩んでいると、大夫の佚之狐(いつしこ)が取次も無く入室してきて、言った、
国危矣。若使燭之武見秦君、師必退。
国危ういかな。もし燭之武(しょくしぶ)をして秦君に見(まみ)えしむれば、師必ず退かん。
「国が危ういのでござる(。もはやこれまでのいろんな行きがかりをあげつらうているわけにはまいりませぬ)。どうぞ、燭之武めをお召しいただき、彼を秦公のもとにお遣わし願いたい。やつであれば秦公の心を翻させ、軍を引き揚げさせることができるかも知れませぬ」
鄭公は頷き、力無く言った、
「わかった。燭之武を出頭させてくれ」
「あい」
佚之狐が退き、半刻もすると、白髪の、しかし眼光炯炯として鋭い老人が鄭公の前に現れた。
燭之武である。
燭之武、鄭公が口を開こうとする前に言う、
「殿、お久しうございますなあ。今回は急なお呼びだしでござったので出向いてまいりましたが、
臣之壮也、猶不如人。今老矣、無能為也已。
臣の壮なるや、なお人にしかず。今老いたり、よく為すこと無きのみ。
やつがれは若いころでさえ、常人――たとえば佚之狐――以下の者でござった(。だからこそ、殿さまはやつがれを重用せず、やつめをお取立てになられたのではございませぬかな?)。今となってはさらに老齢でござる。もはやできることは何もございますまいて。ふほほ」
鄭公は言うた、
吾不能早用子、今急而求子、是寡人之過也。然、鄭亡、子亦有不利焉。
吾つとに子を用いるあたわず、今急に子を求むる、これ寡人の過ちなり。然るに、鄭亡びなば、子もまた利せざること有らん。
「わしが以前からおまえ・・・いや、あなたを重用してこなかったこと、それなのに今こんなときになってあなたを急に呼び出してお願いごとをするのは、わたくしが間違っていたのだ。(わしが自分の間違いで滅びるのはあなたには関係の無いことかも知れぬ)。しかし、鄭の国が滅ぶのは、その鄭の重臣の一族であるあなたにとっては決して有利なことではございますまい」
「ほう・・・」
燭之武はしばらく無言であった。
鄭公は強い不安に襲われた。この老臣はことここに至っても自分の自尊心を傷つけた主君を、宥しはしないのであろうか・・・。
しかし燭之武はやがて
「なるほど・・・、いや待てよ・・・。いやしかし・・・なるほどなあ」
と一人で何やらつぶやき、そして
「よろしかろう」
と突然答えた。
「わかりもうした。公の申し分は正しい。わしは、正しいことには従いますぞ」
許之。
これを許す。
公の申し出を受けたのである。
城は幾重にも囲まれている。ふつうに城門から出て秦公に面会を求めても、晋軍に知られて捕らえられてしまうであろう。
燭之武は、
夜、縋而出、見秦伯。
夜、縋して出で、秦伯に見(まみ)ゆ。
夜ふけ、縄を使って城壁から降り、秦の兵士を見つけて秦公の幕営に案内させ、公に面会を申し出たのである。
「・・・鄭の賢者・燭之武か? 鄭公とはおりあいが悪いと聞いたが・・・」
秦公は牀を立って面会することとした。・・・・・・
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「春秋左伝」より。
すいません、途中でございますが、明日もおもてのしごとがーーーしかもかなりキツイやつがあるので、今日はここまででございます。続きが知りたい人はどうぞ訳者(肝冷斎)が明日生きて家に帰ってくることを祈っていてください・・・。(ああ、でもやっぱりムリだろうなあ、無事に帰ってこれるはずがない・・・) →結局8月31日に続く