おふろを出てきて冷房をかけて、アイスを食います。
がりり。
ああ、しあわせ。
こんなときに会社から電話がかかってくる、ような身分にだけはなりたくないものだなあ。わははは。
ようし、調子がいいからコドモになっちゃうよー。
ぼうううううううううううんんんん・・・・
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ということで童子になりまちて、アイスを食べながらぼけーとしておりますと、窓の外から何やら憂わしげな女性の歌声が聞こえてまいりました。
(あ、子夜ねえたまの歌だ)
今宵は月夜ネコが不思議の夢を見ているのでしょうか、次元の一つか二つが歪んで、遠い六朝時代の時空から、名高い歌妓・子夜の声が聞こえてまいりましたのです。
その歌に耳を傾ける。
自従別郎来、 郎と別れてより、
何日不咨嗟。 いずれの日か咨嗟(しさ)せざらん。
黄檗鬱成林、 黄檗は鬱として林を成せば、
当奈苦心多。 苦心の多きをいかんすべき。
「黄檗」は「きはだ」。「きはだ」の芯は食らうと苦いので、黄檗が茂っていることは、「心がニガく苦しい」ということを導く。
あんたと別れたあの日から
毎日毎日ためいきついているばかり。
きはだも繁って林に育つ
どうすりゃいいのさ、あたいの気持ち。
(ねえたま、またやるせない恋に苦しんでいるのでちゅね)
もう一曲行きます。
誰能思不歌、 誰かよく思いて歌わざらん。
誰能飢不食。 誰かよく飢えて食らわざらん。
日冥当戸倚、 日、冥(く)るるに戸に当たり倚り、
惆悵底不憶。 惆悵として底(なん)ぞ憶(おも)わざる。
思うことがあっても歌わないでいられるひとがいるだろうか。
腹が減っても食わないでいられるひとがいないように。
今日も日が暮れるころ、あたいは戸に寄りかかって、
さびしくって、どうしてもあんたのことを考えないではいられないんだ。
(ああ、こんなに時空が離れていなければ、今すぐそばに行ってねえたまを抱きしめてあげたいものを・・・)
と思ったけど、おいらは童子。おとなの女性には相手にされないサダメでちたー。
お。
ネコちゃんが目を覚ましたかな。時空の歪みが正常化したらしく、もう子夜の歌声は聞こえない。
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「楽府詩集」中「子夜四時歌」より二首。(実はこちらでご紹介した三首の続きです。)
それにしても、六朝のうたはまっすぐな詩ばかりでございます。わたくしどもは、どこにこんな素直な心を棄ててきたのであろうか。もしかしたら昔は科学も経済も劣っていたのに、人の心は劣っていなかったのかも知れませんよー。