なんとか月曜日終わり。週末まであと四日も、この恐ろしい世の中を生き抜けるだろうか・・・。
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戦国時代、楚の懐王(在位前327〜前299)の即位してしばらくのころは、楚と斉の関係は良好であった。
このとき、秦は魏と会合を開き、斉との関係を好転させ、斉と楚の関係を悪化させようとした。
この状況下で、楚の國から秦に使いした景鯉(けいり)という者が
与於秦魏之遇。
秦・魏の遇に与れり。
秦と魏の会合の際に同席していたのであった。
懐王、景鯉が帰国して
「秦・魏の会合に同席いたしましてございます」
と報告すると、
「なんということをしてくれたのだ!」
と激怒した。
その理由は
恐斉以楚遇為有陰於秦魏也。
斉の、楚の遇を以て、秦・魏に陰の有りと為すを恐るるなり。
斉が、楚が会合に同席したのを見て、楚と秦・魏の間に斉に隠れて秘密の関係ができたのではないか、と疑うのを恐れたのである。
王は景鯉を罰しようとした。
これに対して、ある人が景鯉を弁護して、王に説いて言う、
臣賀鯉之与於遇也。
臣、鯉の遇に与れるを賀す。
やつがれは、景鯉どのが会合に同席されてきたことを、「ああよかったなあ」と思うものでございます。
と。
王、問う、
「どういうことか?」
ある人、答えて曰く、
「よくお考えくだされませ。秦は魏と会合を開き、斉との関係を好転させ、我が楚と斉の関係を悪化させようとしているのでございます。ところが、今ここで我が楚の使いである景鯉どのが秦・魏の会合に同席された。これを知れば、斉は、魏と秦が楚を攻める気はないのではないか、と疑いましょう。
斉又畏楚之有陰於秦魏也、必重楚。
斉また、楚の秦・魏に陰の有るを畏れ、必ず楚を重んぜん。
そうすると、斉は、我が楚と秦・魏の間に隠れた秘密の関係があるのではないかということを恐れて、必ず我が楚をさらに重視いたすことになります。
故鯉之与於遇、王之大資也。
故に鯉の遇に与るは、王の大資なり。
ということで、景鯉どのが会合に同席されてきたのは、王さまにとってはたいへんな財産だと考えるのでございます。
もし景鯉どのが会合に同席しておられなければ、秦・魏が斉を重視し、斉と楚の関係を悪化させようとしていることが明白ですから、斉としては楚が自分を頼ってくるのが当然と考え、我が楚を軽視するところでございました。
だから、王さまは景鯉どのを罰してはなりませぬ。逆に、斉に、楚には秦・魏との関係もありうるのだ、ということを暗に示すのがよろしゅうございましょう。そうすれば、必ず斉は楚を重視し、秦・魏と斉の関係が好転することはありますまい」
王曰、諾。因不罪而益其列。
王曰く、「諾」と。よりて罪せずしてその列を益す。
王はおっしゃった。
「なるほどな」
と。そして、景鯉を罰することは取りやめ、逆にその地位をさらに上げてやったのであった。
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「戦国策」巻五「楚策・懐王」より。
楚の国に遺された記録をもとにした「楚策」の中では、この「ある人」の言葉は景鯉を弁護する言説として収録されているのですが、さて、国際政治上の政策としては、このとき懐王の採った景鯉を優遇する、という「策」は成功したでしょうか、失敗したでしょうか。
国際政治は複雑ですので、何が原因であったかは一概には言いきれませんが、懐王の「策」はおそらく失敗しました。斉は、楚の動向の機先を制して秦・魏と関係を好転させることを選び、斉・楚の同盟は崩壊してしまいます。
実は、文中に出てくる「ある人」は「楚策」の中では個人名が明らかではありませんが、秦の方の記録をもとにして編纂された同書の「秦策」(上)を閲すると、別の事実が明らかになります。
秦の記録によれば、この事件の際、
秦令周最謂楚王・・・
秦、周最をして楚王に謂わしめて・・・・。
秦は周最という者に、楚王に献言させた・・・・。
それによって、景鯉への怒りを解かしめた、と書いてあるのです。
ということで、この献言自体が秦の策謀のもとに周最というスパイによって行われたものだったことがわかります。「戦国策」はこんなのばっかし。一国の側で「策」とされているものが、他の国のスパイ行為であった、というのがごろごろあります。おとなの世界コワいよー。