今日はむかしのしごと仲間とお中華料理でちた。言いたいことも言えたので、キモチよく帰ってきました。さあて、明日は休みか・・・と思ったら、よく考えたらまた明日も平日! この暑いのに。
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新しい話柄探すのめんどくさいので昨日の続き。
斉の末には今度は、皇帝の䔥宝巻(在位499〜501)があまりに非道であるとして遠縁に当たる䔥衍が挙兵し、䔥宝融を奉じて王宮に攻め寄せた。
宝巻は䔥衍の包囲下、黄泰平らにより弑される。彼は帝位に着いてなかった扱いで「東昏侯」と諡名された。
䔥衍は宝融を即位(斉の和帝(在位501〜502))させた上で和帝から禅譲の詔を受け、即位した。これが六朝第一の名君、篤い仏教信者・・・にして後半生は建前ばかりを優先して、国を混乱させ民を塗炭の苦しみに陥れたと悪評の高い梁の武帝(在位502〜548)でございます。
和帝は巴陵王に封じられた。
武帝は南海郡(広州)を独立国にして、そこに巴陵王を住まわせようと出発させたが、謀臣の沈約に
不可慕虚名而受実禍。
虚名を慕いて実禍を受くるは不可なり。
(先の王朝の帝を尊重したという)うわっつらだけの美名を得ようとして、実体的な禍根を残すのはよろしくありませぬ。
と諌められ、近臣の鄭伯禽に巴陵王の後を追わせ、
進以生金。
進むるに生金を以てす。
黄金を多量に服用するよう勧めさせた。
黄金を詰まらせて自ら裁するように、というありがたい思し召しである。
王こたえて曰く、
我死不須金、醇酒足矣。
我が死には金を須(もち)いず、醇酒足れり。
「わたしが死ぬのに、なぜ黄金が必要であろうか。それよりは佳い酒があれば足りよう」
と。
乃引飲一升、伯禽就而摺殺之。
すなわち引きて一升を飲み、伯禽ついてこれを摺殺す。
そこで酒を取り寄せて一升飲んだ。それからおもむろに鄭伯禽が絞殺したてまつったのであった。
―――梁の末、地方の太守であった陳覇先は帝の䔥淵明(在位555。建安公と諡名される)を弑したてまつり、䔥方智を建てて敬帝とした(在位555〜557)。二年後、陳覇先は敬帝から禅譲を受けて即位する。陳の武帝(在位557〜560)である。
武帝は即位すると、ただちに挙兵以来の同志の沈恪に敬帝を始末するよう命じたが、沈は
身経事䔥家来、今日不忍見如許事。
身、䔥家に事(つか)うるを経て来たれり、今日許(か)くの如きの事を見るに忍びず。
やつがれは一応、䔥家の梁王朝に仕えて来た者でござる。今になってこのような(もとの主君を弑殺するような)ことは見るに堪えぬ。
と答えてこれを断った。
武帝は次にかつて敬帝の側近であった劉師知に
「悩み事があるが君なら解決できるかも知れぬなあ・・・」
と言葉をかけた。
劉師知はその夜、敬帝の住む宮殿に赴き、
詐帝令出宮。
帝を詐わりて出宮せしめんとす。
敬帝に宮殿の外でお会いできないか、と誘いかけた。
帝はその意を覚って宮殿を出ようとしない。
劉師知は
「わたしがお会いしたいというのにどうして避けられるのか」
と兵士らを率いて帝の居室まで踏み込んだ。
帝、
繞床走、曰、師知売我。陳覇先反、我本不須作天子、何意見殺。
床を繞りて走り、曰く、「師知我を売れり。陳覇先反するに、我もと天子となるを須(もち)いず、何の意ぞ殺さるるや」と。
帝はベッドのまわりをぐるぐる回って逃げ回り、大声で
「わしは劉師知に売られたのだ。陳覇先は先帝のときに叛乱を起こしたが、そのときわしは天子になろうなどと思っていなかった。(お前たちがわしを無理やり引きずり出しただけなのに)どういうわけで今になって殺されねばならんのか」
と叫び続けた。
師知、
「御覚悟の無いことじゃ」
と苦笑しながら
執帝衣。
帝の衣を執る。
敬帝の服の先をつかまえた。
そして、アゴをしゃくって合図をすると、
行事者加刃焉。
事を行う者、刃を加えたり。
そういうことに馴れた軍士が、喚き叫ぶ帝に刃を加え、お斬り殺し申し上げたのであった。
ついに首を絞めるのでなく刀剣で殺ってしまいましたね。
それから師知は武帝のところに赴き、
事已了。
事、已(おわ)んぬ。
例のこと、もう終了いたしました。
と報告。武帝の御満悦を得て退出したのであった。
―――次いで陳の末には・・・
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やっぱりきりがないのでまた今度。「廿二史劄記」巻七より。
ちなみに今日、さるところでおいらのしごとは何かね、と聞かれましたが、おいらはコドモなので定まったしごとはないのでちゅー。