今日はむかしのしごと仲間とイタリアンでちた。むかしのことは美化されるからなのか、楽しかった。そして明日はやっと休み。
・・・しかしまた来週が来る・・・。
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状如人乗馬、衆魚導従、一名魚伯。
状は人の馬に乗るごとく、衆魚導き従うは、一名、魚伯なり。
まるで人が馬に乗っているかのような姿で(水中に浮かび)、無数の魚を前後に従えている「もの」がいる。それは「魚伯(魚の指導者)だ」ともいう。
これは、あるいは「水居」とも呼ばれるそうである。
今(五代のころ。10世紀半ば)では滅多に見られるものではないが、漢の末ごろ、黄河の川べりでこれを見たひとの言によれば、
馬人皆有鱗甲、如大鯉魚。
馬人みな鱗甲有りて、大鯉魚の如し。
馬のような部分もそれに乗ったニンゲンの部分も、すべてウロコに覆われて、巨大なコイのようであった。
しかし、
手足耳鼻似人不異。
手足耳鼻は人に似て異ならず。
手足や耳・鼻はニンゲンと同じように見えた。
そうである。
時はすでに日暮れに近く、川べりはようやく暮れかけて暗かったが、それはこちら側を見て、巨大な口を顔いっぱいに広げ、一瞬笑ったようであった。
「んん?」
視之良久乃入水。
これを視ることをやや久しくしてすなわち水に入れり。
よく見ようと目をみはっていたが、しばらくすると水中に没してしまった。
その年、
大水有之。
大水これあり。
黄河一帯は大洪水に襲われた。
このあたりも大いに水災を受け、村々はほとんど全滅したが、そのひとだけは生き残ったということである。
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五代・馬縞「中華古今注」巻下より。
魚ニンゲンちゃんがいたのでちゅねー! これはウルトラQやセブンにも出てきたやつだぞー!
とコドモ心に想像力を働かせ、現実から逃避しよう・・・としたが、またあとわずか80時間ぐらいすると平日の朝になることを思い出して、ダメになった。シ奴かも。
ちなみに馬縞(857〜936)は唐の末年に明経科に合格して官僚となり、後梁に仕えて太常少卿(副大臣)となり、後唐年間には戸部・兵部の侍郎(次官)から国子祭酒(国立大学学長)に昇ったひと。儒学、特に礼学に詳しく、西晋の崔豹の「古今注」にインスパイアーされて、諸書を渉猟して知り得た知識を記録したのが「中華古今注」である。