まずい状況になってきましたよ。
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まずい状況は別にして、今日も読書にはげみます。
義熙九年(413)といいますから、東晋の安帝(在位396〜418)のころ、東晋は420年に宋に禅譲しますので、ほとんど晋の末年のことでございます。
墓盗人が百年ほど前に戦死した卞壺という貴族の墓をあばいたことがあった。
すると、なんと
壺屍僵。
壺の屍、僵す。
卞壺の死体は、僵屍(きょうし)になっていたのである。
「僵屍」は「キョンシー」と福建読みするとすぐに理解できると思いますが、腐敗せずに人のかたちを保ったまま硬直した死体のこと。「ミイラ」である。
髪鬒蒼白、面如生。
髪は鬒(しん)も蒼白にして面は生くるが如し。
髪は黒かったものが青白く色あせていたが、顏は生きているようであった。
しかして、
両手悉拳、爪甲乃長穿達手背。
両手ことごとく拳すに、爪甲すなわち長じて手背に穿ち達す。
両手ともこぶしを握っていたが、そのままで指の爪が延びたため、爪は手のひらに穴を開け、手の甲から飛び出していた。
「まるで生きているみたいだぜ」
と燈火で照らし出していると、卞壺の死体、突然まぶたを開けた!
「!」
しかしそれは燈火の熱でまぶたに残っていた脂肪が融け、まぶたが縮みあがっただけだったようだ。すでに眼球は腐敗しつくしていて、まぶたの裏からは、ただ黒々と空っぽの眼窩がのぞいているばかりであった。
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明・徐応秋「玉芝堂談薈」巻十四より。もと「三十国春秋」なる書に出るところという。
清代になりますとこの僵屍が追いかけてきたりしますが、六朝のころはまだまだ大人しく、爪がお伸びになる程度だったのでございます。
それにしてもまずい。やつら、おいらのようなコドモまで沖縄から追放してしまおうとしているみたいでちゅよ。見つかると追放されてちまうかも知れないので、明日明後日は身を隠しまちゅ。