永楽年間(1403〜24)のこと、刑部の主事をしていた金晟のもとに引き出だされてきたのは、湖廣において強盗をはたらいたという若干の罪人であった。
湖廣総督からあがってきた調書どおりの罪状なら、全員死罪は免れえない悪党どもばかりである。
確認のために取り調べを行おうとして調書に目を通していた金晟は、驚いた。
其渠首年一百二十五歳。
その渠首、年一百二十五歳なり。
首領の男、「年齢125歳」と記されていたのである。
実際に目の前に見るその男は、としごろを経たずるがしこそうな目をしているものの、
面如童子。
面、童子の如し。
まるで少年のように若々しい顏色をしていたのだ。
金晟、調書を信ずることができず、
「おまえの年齢はいくつだ?」
と訊ぬるに、男こたえて曰く、
「125歳ですじゃ」
と。
「どうもそんな年には見えぬ。いつわりを申しておるのではないか?」
問其所以致寿、曰、少君荊山中、嘗遇一人、以草炙其臍。云令爾多寿。遂活至此耳。
その寿を致す所以を問うに、曰く、「少きとき君荊山中にてかつて一人の草を以てその臍を炙るに遇う。云うに、「なんじをして多寿たらしめん」と。遂に活してここに至るのみ」と。
どうしてそんなに長生きなのかを問いただしたところ、答えて言うに、
「わたくしは若いころ、荊州の君荊山の中で迷ったことがありました。そのとき、一人のひとと出会うた。
そのひと、草を燃やして自分のヘソをあぶっておられたが(、わたくしのヘソもあぶってくれて、そして)言うに、「おまえはこれで長生きするよ」と。
無事に山中から下界に帰ってきて、今まで生き延びてまいりましたのじゃ」
「なーるへそ」
金晟、その旨を付記して報告すると、皇帝の決裁を経て判決が下された。首領の男については
以其老、命杖殺之。余皆伏誅。
その老を以て、これを杖殺せんことを命ず。余はみな誅に伏す。
その老齢であるのを憐れんで、ひそかに杖で殴り殺すように、との下命であった。ほかの強盗どもは、みな衆人環視のもとでの死罪とされた。
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長生きしても強盗はいけませんよね。でも「杖で殴り殺される」だけですんでよかった。明・陸粲「庚已編」巻三より。
最長寿の男性が昨日亡くなったという報道がありました。百十六歳という。御冥福をお祈りします。
わしの方には今日災厄が降ってきた。いよいよ万座毛から飛び降りることになるカモ。