むかし。
湖南の地に
有一婆。
一婆有り。
ばばあが一人いた。
このばばあは
毎日誦金剛経、乞食。
毎日、金剛経を誦して乞食す。
毎日毎日、金剛般若経を唱えながらひとびとに食を乞うて歩いていたのであった。
そんなある日の朝、
群鴉噪山上。
群鴉、山上に噪ぐ。
山のいただきのあたりにカラスが群れ騒いでいた。
村人ら、何があったのかと山上に登ってみるに、
婆懐金剛経坐化厳傍。
婆、金剛経を懐ろにして厳傍に坐化す。
例のばばあが、金剛経一部を懐中に抱きしめたまま、山頂の岩陰ですわったまま死んでいたのであった。
その顏、朝日の中に、まことに安らかで清々しく、村人ら、思わず跪いてばばあを拝んだのであった。
と、
群鴉銜土以覆之、久而成墳。
群鴉、土を銜えて以てこれを覆い、久しくして墳を成す。
群れ騒ぐカラスたちはそれぞれに土をくわえてきて、ばばあの上に覆いかけてその亡骸を隠し、まるで墳墓のようにまるく築きあげたのであった。
それで、ひとびとは今もこの山頂付近を「烏葬婆」(うそうば)の山と呼んでいるそうだ。
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明・徐応秋「玉芝堂談薈」巻十三より。
乞食のばばあは安らかに極楽行けたということです。
本日、東京のさるお方からメールでご注意があった。
昨日のわたしの更新の中で、
・・・宮仕えというのは畢竟、乞丐の徒のようにも思うのである。※
と記述があったが、
―――宮仕えには給料がある。乞食の方のように食べるモノ・寝るところを毎日探し求めておられる方々のような覚悟はない。同じにしてはならぬ。
とのことであった。
まったくであります。今となっては「誰がこんなこと書きおったのだ。怪しからん」という気がいたしますので、※を下記の※※のように修正します。
・・・宮仕えというのは畢竟、乞丐の徒のように安らかに極楽に行けるとも思うときもあるのである。ただし立派な上司(と部下)に恵まれました時だけですが。※※