現世のこと、どうでもいい。まるで賢者のように感情が消えてきた。
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明・萬暦の時代、張居正が国政を担っていた間は、
附勢者競趨其門。
勢に附する者、競いてその門に趨る。
その威勢に付き随おうとする者たちが、争って彼の屋敷の門に走り入っていたものだ。
居正が失脚した後は、彼の威勢に付き随っていた者たちが先頭になって、
衆急攻之。
衆、これを攻むること、急なり。
みんなで激しく彼を批判した。
識者はこの様子を見て、
「まことに太平の民のごとし」
と嘆じた。
わたしは問うた、
「てのひらを返すようなひとびとがどうして太平の民なのですか?」
と。
識者いう、
生江陵市、与死江陵市、等耳。
江陵の市に生まるると、江陵の市に死すると、等しきのみ。
太平の時代には、江陵のまちに生まれたひとは同じ江陵のまちで死ぬものだ。(張居正に争って付き随っていた者が、張居正を争って批判するのもそれと)何の違いがあろうか。
状況が変ればひとの評価も変わり、「てのひら」はたやすくひっくり返される。当たり前のことなのだ。しかし、誰かが権勢の頂点にあるときにも常にそのことを認識していられるひとは意外と少なく、それだけでそのひとは賢者と呼ばれるに値する。
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清・姚之駰「元明事類鈔」巻十七より。
なお、江陵は長江沿岸の繁華街で、張居正の出身地である。