今日は大いに月が満ちた。でかい満月でした。
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月を見ながらおいら、思い出しまちた。遠い漢の時代のことを。
匈奴挙事、常随月盛壮以攻戦、月虧則退兵。
匈奴の事を挙ぐるや、常に月の盛壮なるに随いて以て攻戦し、月虧(か)くればすなわち兵を退く。
匈奴が何かやるときは、いつも月が(新月から満月へと)まるくなってくるのにしたがって南方の我が漢の地を攻め、月が(満月から晦日へと)欠けはじめると撤退する。
のでございまちたよ(「漢書」匈奴伝より)。
このころ北方の前線で匈奴と対峙していた漢の兵士らを歌った詩に曰く、
月黒雁飛高、 月黒くして雁の飛ぶこと高ければ、
単于遠遁逃。 単于は遠く遁逃す。
欲将軽騎逐、 軽騎を将(もち)いて逐(お)わんと欲すれば、
大雪満弓刀。 大雪、弓刀に満ちぬ。
月が満月を過ぎて暗くなりはじめ、雁は北地の空を高く飛んでいく夜には、
闇に紛れて匈奴の王(単于(ぜんう)は匈奴の王の称号)は、遠く漠北へと兵を退ける。
軽装の騎兵を出してそれを追撃しようとするのだが、
その兵士らの弓にも刀にも、あっという間に雪が大いに降り積もっていく。
と。
なつかちいなー。
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ただし、この詩は唐の盧綸が尚書左僕射(さぼくや)の職にあった張延賞という人の「塞下曲」(とりでのうた)に唱和したもの(「和張僕射塞下曲」(張僕射の「塞下の曲」に和す))で、製作年代は貞元元年(785)から三年(787)の間の作品(「唐詩選」所収)。漢代から800年ぐらいあとの詩ですね。
東京の某氏がケッコンするとか。おいらも早くオトナになって・・・と思ったけど、よく考えたらおいら紀元前からコドモのまま、十年経ってもコドモのままの成長しないタイプの人類でちたー。ちちゅれいちまちた〜。