今日はほんとにアタマに来たな。かんにんぶくろが切れまするよ。
ちなみに「堪忍」(かんにん)は仏教用語みたいに見えますが、実は「書経」(尚書)にも出てくる古い言葉です。
尚書・湯誥にいう
不能堪忍虐之甚。
虐の甚だしきを忍ぶに堪うるあたわず。
あまりにひどいことをするので、我慢し続けることができなくなった。
と。
これを仏教経典の翻訳の際、一切の苦悩を耐え忍ぶ、という意味に使った。例えば「涅槃経」巻十一にいう、
得四念処已、則得住堪忍地中。
四念処を得ること已(おわ)れば、すなわち堪忍地の中に住むをことを得ん。
「四つの思い」を修得できれば、一切の苦悩を耐え忍ぶ状況にとどまることができるであろう。
これを使って、江戸時代の天才文学者の方々が、我慢の限界を超えたことを「堪忍袋も破れかぶれ」というて表現したのだそうであります。
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閑話休題。
さて、これは唐の時代のことだそうですが、ある隠者が富豪の家に行ったときのこと、その家に立派な硯があるのを見て、
「ああ」
と声をあげ、傍にいた者に言うた。
君識此硯乎。蓋三災石也。
君、この硯を識るか。けだし三災石なり。
「おまえさんはこの硯を知っているか。これは「三災石」といわれる硯じゃぞ」
そして
「ああ、なんと残念なことじゃのう、残念なことじゃのう。この家の主人はこれを早く手放すがいいのだがのう・・・」
とため息をついた。
「三災石」とは「三つの災いをもたらす石」の謂いであろうか。縁起が悪い。
やがてその話が主人の耳にも達したらしく、富豪は使者をつかわして「三災石」の謂われを問うてきた。
「どうしても御存知になりたいか? もしその謂われを聞いたら、御主人はあの硯は手放さねばならなくなりますぞ」
「主人は、それは覚悟の上のこと、とのことでござります」
「よろしい、されば語って聞かせよう。
あのすばらしい硯で墨を磨って、御主人が字をお書きになるわけじゃ。そこのところをようく考えていただきたい。
字札不奇、一災也。文辞不優、二災也。窗几狼藉、三災也。
字札奇ならず、一災なり。文辞優ならず、二災なり。窗几狼藉たる、三災なり。
書かれる字にまったく味わいが無い―――のが、硯にとっての第一の災い。
その文章があまりにもダメダメ―――なのが、硯にとっての第二の災い。
硯の置かれた書斎の、窓辺も机の上も、オオカミのねぐらのように散らかっている―――のが、硯のとっての第三の災い。
それで、あの硯は、「三つの災いを受けた石」だ、と申し上げたのである」
「むむう」
使者は唸ったが、しかたなくその言葉をそのまま富豪に伝えた。
富豪はそれを聞いて恥ずかしく思い、ついに硯を手放したという。
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宋・陶穀「清異録」より(「古今譚概」巻十二所収)。
おいらなんかみたいなのでも、あんまりいためつけていると三つぐらいは災害をもたらすかも知れませんよ、○○さんよ。