ただいまー。やっとしごと終わった。
明日はもう日曜。夕方にはサザエの歌が聞こえ、ひとびとは月曜日への不安に畏れおののかねばならぬ。
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サザエの恐ろしさにつきまして。
晋の太康(280〜289)・永熙(290)年間のことだそうですが、尚書令(内閣総理大臣)の衛瓘の家で、
家人炊飯堕地、尽化為螺。
家人、飯を炊きて地に堕とすに、ことごとく化して螺と為る。
その家のものが炊いたご飯を地面に落としてしまったところ、すべて変化してサザエに変じた。
そのサザエ、みな
出足而行。
足を出だして行けり。
フタから足を出して、こそこそとどこかに消えてしまった。
何とも不思議なことであるが、この直後、衛瓘は誅殺された。サザエはその予兆だったのであろう。
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明・徐応秋「玉芝堂談薈」巻十三より。
おそろしいことです。
ところで、衛瓘、字・伯玉は河東安邑(山西省)のひと、晋に仕えて尚書令に至る。
南朝宋・劉義慶「世説新語」によれば、晋の武帝はその太子(司馬衷。後の恵帝)が愚昧であったが外戚を恐れて廃位しなかったので、あるとき側にあった衛瓘が
如酔、跪帝前、以手撫床曰、此座可惜。
酔うが如くして、帝前に跪き、手を以て床を撫して曰く、「この座、惜しむべし」と。
酔ったふりをして武帝の前にひざまずき、手で武帝の座る椅子(玉座である)を撫でながら、
「この座は大切なものですのになあ」
と言った。
愚昧な者にその座を継がせてはならないことを諷喩したのである。
帝は笑いながら
公酔邪。
公、酔えるか。
「おまえさん、ずいぶん酔っぱらったようじゃなあ」
とごまかしたのであった。
「晋陽秋」によれば、後、太子の妃である賈妃の父・賈充はそのことを聴き、娘の妃に対して
衛瓘老奴、幾敗汝家。
衛瓘老奴、ほとんど汝の家を敗らんとす。
「あの衛瓘の老いぼれ下衆め、おまえの家(つまり賈家)の将来をぶっ壊してしまうところであったわい」
と告げたため、後に恵帝即位の後、妃の命により衛瓘を誅殺したのである。
・・・・・・のですから、衛瓘は「正しいことを言った」ために殺されたのである。よくあることでございます。決してサザエに殺されたわけではないのでございます。
なお、「螺」を「栄螺」(サザエ)の意にとって勝手にサザエと訳していますが、「螺」は巻貝の総称で、ここでいう「螺」はおそらく「田螺」(タニシ)である可能性が高いこと、をお断りしておきます。すみません。