うちゅん。毎日毎日つらいんです。沖縄でもこんな人の使い方するのか。もっと南に行かないとダメか。
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清の時代、もう末に近い十九世紀の終わりごろのこと。
湖北・江陵に唐某という青年がおった。
唐某は
小能文章、亦粗解攷据、
小より文章を能くし、またほぼ攷据を解す。
まだコドモのころから文章のが得意で、また清代に流行した考証学について、ほぼその蘊奥を極めていた。
そして、自分で
「天下におれの若さでこれほどの知識を持っている者は少なかろう」
と誇っているような男であった。テングであったのである。
その彼、ある晩、
野行失道墜枯井中。
野行するに道を失い、枯井中に墜つ。
用あって郊外を行くうちに道に迷い、空井戸に落ちてしまった。
「いてて・・・。このわたしほどの人物をこんなに困らせるとは世も末だなあ・・・」
と腰をさすりながら立ち上がったが、井戸は意外に深くよじのぼるすべもない。
「朝までこうしているしかないのかなあ・・・」
ふと見回すと、
旁有一穴、高可容身。遥見其中隠隠有燈光。
かたわらに一穴有り、高さ身を容るるも可なり。遥かに見る、その中隠々として燈光有るを。
井戸の底には、ようやく人ひとりが通れるぐらいの横穴があって、その穴からはずうっと向こうの方に、ちらり、ちらり、と燈火らしきものが見えるのである。
?
「どういう人が住んでいるのかわからないが、ここでじっとしているよりはいいでしょう」
唐某はその穴に入り込んだ。
・・・・・・どれぐらい進んだであろうか。
穴から見えたり見えなかったりしていた燈火が、すぐ近くに見え始めた、と思ったとたん、広く開けた場所に出た。
はじめ燈火があまり眩しすぎたのであたりのことがよくわからなかったが、目がなれてくると、そこは広間になっていて、広間の中央には舞台のような石の台があり、燈火はその石台に据えられているのがわかった。
そして、その石台には
有二女子対座鼓吹、意甚楽也。
二女子対座して鼓吹し、意はなはだ楽しげなる有り。
二人の若い女が向かい合って座り、楽しげに一人は鼓を叩き、一人は笛を吹いていたのであった。
「!」
唐某、なにぶん意外のこととて驚いて足音を立てた。
「だれ?」
女たちは音楽をとどめ、いぶかしそうに唐の方を見つめた。楽しげなところを邪魔されてあからさまに不機嫌そうである。
唐、この態度を見て、いくぶん腹を立てた。
「こんな夜中に音楽を楽しむ・・・それだけでもはしたないことでござろう。わしのような読書人を見ても立ちあがって礼もせず、不機嫌そうな対応をするとは、
令人不解。
人をして解かざらしむ。
人に理解してもらおうとしても難しいことでござろう」
さすがに学者である。厳格主義で叱った。
すると一方の女曰く、
「音楽を楽しむのはここではみな自分の思いのままにするのですわ。あなたが理解するかどうかなんてどうでもいいことなんですよ」
「ほう」
しっかりした受け答えであるので、唐は少し女を見直した。
よく見てみれば美しい女である。肌も髪もしっとりとし、唇も濡れたようにみずみずしい。
「ふむふむ・・・。ところでわたしは井戸に落ちてここまでさまよってきたのですが、
問此是何地。
問う、これ、これは何の地ぞや。
ここはどこなのかな?」
おほほほ。
女曰く、
此為蛙国。吾子、豈未嘗聞之乎。
これ蛙国なり。吾が子、あにいまだかつてこれを聞かずや。
「ここは蛙国(あこく、または、かこく)ですよ。あなた、まさかこの国のこと、御存じないんじゃないでしょうね?」
「え? かこく? 蝸国?」
―――突然ですが、今日はここまで。
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清・楊鳳輝「南皋筆記」巻四より。楊鳳輝は四川・岷江のひと、という以外人となりを知られない。その著「南皋筆記」は自身の「奇聞異見」(おかしく異常な見聞)を記したものといい、文章には非常に趣きがありまた人の行動への価値判断を含んでいる。しかし人の行動を貶すときには必ずそのひとの姓か名を「某」「佚名」として隠しており、その人柄が仁厚であったことが推測される、という(「筆記小説大観提要」)。
ハナシの続きを知りたい人は、肝冷斎が明日明後日の土日出張(おとおり附き)を無事生き抜き、さらに月曜日に家に帰ってくるまで精神的にもツブれていないことを祈れ。ただ祈れ。ほんとに。