今日のしごと後の乾杯はさんぴん茶で宥してもらう。朝から頭痛くて会社には遅刻。しごとつらい。どうしようかとおろおろする。
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昨日の続き。
魏王に声をかけられた荘子、答えて言うた。
貧也。非憊也。
貧しきなり。憊(つか)れたるにはあらざるなり。
「わしは単に貧乏なのじゃ。別に困っているわけではないですぞ」
「ほう、貧乏と困ることとは違う、と?」
魏王の質問に、荘子はにやにやとして言うた。
此所謂非遭時也。
これ、いわゆる時に遭(あ)わざるなり。
「貧乏でおりますのは、いわゆる「時世にあわない」ということでござるよ」
魏王は以前より賢者の荘子を顧問にしたいと思っていたので、
「そうお思いなら・・・。先生、どうぞ大臣たちを指導する高い地位に就いていただき、相応の禄を得ていただけませぬかな」
と願い出た。
ありがたいことでございます。
われらなら「わーい、うれちいな」とコドモのように喜びまして、手の舞い足の踏むところも知らず。王さまも「人を喜ばせることができた」という王者特有の喜びを得て、にこにこしたことでございましょう。
ところが、荘子はにやにやしながら言うた。
王独不見夫騰猿乎。
王、独り見ずや、かの騰猿を。
「王さまだけではございませんかなあ、あの飛び跳ねるサルを見たことがないのは?」
「わしが? 見たことあるぞよ」
魏王はサルを見たことがあるので、否定した。
「おお、御覧になったことがありますか。ならば話は早い」
荘子は話を続ける。
「やつらは、クスノキやトチやカシの木を見つけると、その蔓にぶらさがり枝につかまり、まるで林の主人であるかのように気ままに振る舞う。このときは、超古代の弓の名手・羿といえども、またその弟子で好敵手の蓬蒙といえども、彼らの姿を見極めて弓を発し射ぬくことができるものはおりますまい。
ところが、やつらは桑やナツメ、カラタチなどの低木しか無いところでは、困ったようにまわりをきょろきょろと見回し、抜き足差し足で、懼れ震えながら行動するのでございます。
此筋骨非有加急而不柔也、処勢不便、未足以逞其能。
これ筋骨の急を加うるありて不柔となるにあらず、勢に処するに便ならずして、いまだその能を逞するに足らざるなり。
これは筋肉や骨に何かの力が加わって、不柔(←硬直して動かなくなることをいう医学用語)になってしまったのではございませぬ。その場所の形勢が自分たちが対処するのに好都合でないから、低木の間ではその能力を最大限に発揮して我が物顔に振る舞うことができないのでございます」
にやり、ぎろぎろ。
今処昏上乱相之間而欲無憊、奚可得邪。
今、昏上・乱相の間に処すれば憊(つか)るる無からんと欲す、なんぞ得べけんや。
「かりに、愚かな上層部、混乱した大臣ども、こんなやつらと一緒にいたとしたら(低木の間のサルと同様に、)困らないでおこう、と思っても困ってしまわざるを得ないではありまぬか。
かつて殷の紂王に仕え、王に諫言したために恨まれて心臓を刳りぬかれたという賢人・比干(ひかん)さまの心臓も弱っていたことでございましょう。
それぐらいなら貧乏な方がいいですよね、わははははーーーー」
気持ちよくしゃべって荘子はにやにや。
魏王は熱心に聞いていて最後に攻撃され、イヤな気持ちになって俯いておられたという。
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「荘子」山木篇より。
なんでこんなことばかり言って人の気持ちを傷つけるのでしょうね。自分にも厳しいから人にも厳しくしていい、わけか。お偉方と同じように。