二月も、もう終わりです。
・・・・・・・・・・・・・・
久しぶりで杜詩でも読んで寝るか。
・・・詩人は四川の地、三国・蜀漢の先主・劉備の故事で名高い白帝城までさまよってきた。
城尖徑仄旌旆愁。 城は尖りて徑は仄かに、旌旆(せいはい)愁いたり。
独立縹渺之高楼。 独り、縹渺の高楼に立つ。
城は上の方がせばまって聳え立ち、登って来る道はかすか、旗指物は愁いあるかのようにはためく。
わしは今、地上から霞んで見えていた城楼の一番上に一人立っているのだ。
なにしろ安禄山の乱でわが大唐国はなかば滅び、自分は職も無く放浪の旅路にあるのである。
「はあ・・・」
憂鬱の心が強くなってきました。
しかし、高楼の上から見える景色を見ているうちに・・・
―――気が大きくなってきたぞー。(詩人はポケットからウイスキー瓶を取り出して「へへへ」と笑いながら一口飲んだ、のかも)
峡拆雲霾龍虎臥、 峡は拆(さ)け雲は霾(つちふ)り龍虎臥し、
江清日抱黿鼉游。 江は清く日は抱き黿鼉(げん・だ)游ぶ。
谷は裂け、雲は土気まじりに雨を降らせ、かなたには龍か虎のような岩が並ぶ。
江は清らか、日の光がそれを抱きとるまで遠く流れ、あのあたりには巨大な亀やワニが泳いでいるはず。
「霾」(り)という字は「土が降る」ということで、内陸の「砂嵐」、海岸部の「黄砂」などもいう。(PM2.5は知らん)
「黿」(げん)は「ウミガメ」、「鼉」(だ)は「ヨウスコウワニ」。巨大な水棲動物のコンビとして、古来並称されてきた。
「国語」(晋語九)にいう、
雀入於海為蛤、雉入於淮為蜃、黿鼉魚鼈、莫不能化。唯人不能、哀夫。
雀は海に入りて蛤と為り、雉は淮に入りて蜃と為り、黿・鼉・魚・鼈、化するあたわざる莫(な)し。ただ人のみ能わず、哀しいかな。
スズメは海に入ったら小さな二枚貝になりますよね。キジは淮河で水に入って大きな二枚貝になりますよね。このほか、ウミガメ、ワニ、大きなウオ、スッポンなどはみな変身することができます。それなのにニンゲンだけが変わることができないのだ。かなしいことではないか。
と。(いや、わたしはかなしくありませんが・・・。ウミガメ、ワニは、ここでは魚・スッポンと一緒にされていますが、とにかく霊性を持ったものとされていたのである。)
―――わはははは。よし、調子出てきたー!(もっと飲んだのかも。)
扶桑西枝対断石、 扶桑の西枝は断石に対し、
弱水東影随長流。 弱水の東影は長流に随う。
(あの尾根の影は)東の海の向こうの世界の涯に生えている巨木・扶桑の西の方の枝がここまで伸びてきて、切り立った崖の岩に影を落としているのかもしれない。
(あの川面の輝きは)西の海に注ぐという弱水の流れが日光を受け、東の方にきらきらとここまで光を届け、江の流れを照らしているのかもしれない。
これは完全に幻覚っぽい。
しかし、ここまでであった。(効果がキレてきました)
―――やっぱり、ダメ。わしはダメなニンゲンだ。また鬱になってきた。
杖藜嘆世者誰子。 藜(れい)を杖して世を嘆く者は誰が子ぞ。
泣血迸空回白頭。 血に泣き、空に迸(ほとば)しりて白頭を回らす。
アカザの木で作った粗末な杖によりかかり、この世のことを嘆いているのはどこの誰か。(わしだ)
泣き尽くして涙は血に変わり、ほとばしって空に散る。わしは白髪頭をめぐらし(て世界から目をそむけ、高楼から降りて行ったのであっ)た。
かわいちょう。
・・・・・・・・・・・・・・
杜甫「白帝城最高楼」。いにしえより名作のほまれ高い一篇です。興奮して眠れなくなりそう。下線を引いた二句は、いずれも破格の五字切れで、普通の七言句は2字+2字+3字の語句で構成されます(四字切れ)が、この二句は2字+3字+2字になっていて「胸がいっぱいで言葉が出てこない」みたいな感じを与えます。巧いねー。
アカザの杖に寄りかかって嘆いているばかりではならぬ。わしらも何とか耐えて、この国を滅びの手前で踏みとどまらせるべし。そうしたら子孫のみなさまがまた立派な国にしてくれるかも。
九つとサーノエー これから先は われわれは
助けられたり助けたり 同じ日本の人だもの
十(とお)とサーノエー とう坂登る日の丸は
国の光をかがやかす なんで日の丸忘らりょか (「サイパン数え歌」)