三月になりました。明日から週明けまで地獄出張。途中にお◎おりで名高いところにもいくから、死ぬかも。
そのことを前提になにかいいこと言わなければ・・・と焦るのですが・・・。
まあいいか。
お◎おりで死んだひとの言葉など誰もありがたく聴いてはくれませんからね。
いい加減な話をします。
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八重山のひとは大昔、
蒙蒙昧昧、智機未闢、而未知有仁愛之道。
蒙々昧々として、智機いまだ闢かれず、而していまだ仁愛の道あるを知らざるなり。
バカでバカでどうしようもないぐらい大バカであって、知識も思いつきも何も無し。優しいニンゲンらしい心も無かったのだ。
彼らは原野に眠り深い穴の中で暮らし、どこかに定住するということも無く、鳥やケモノと同じ生活であった。力の強い者があれば自らの力を恃んで人の持ち物を奪って平然としていたし、勢いのある者があればその勢いを恃んで老いた者を欺き幼き者を苛め、他人の命を奪ってもこころに何の罪の意識も無かったのである。
こんな時代に、ある農民の家に、
有兄弟三人。長名曰真種増瑞。次名曰那他発。亦次名平川瓦。兄弟雖倶善、而不及真種増瑞矣。
兄弟三人あり。長は名を「真種増瑞」と曰い、次は名を「那他発」と曰い、また次は「平川瓦」と名づく。兄弟ともに善しといえども、真種増瑞に及ばず。
名前の漢字がめんどくさいので、これはこの漢文のもとになった「琉球国由来記」巻二十一の「八重山嶽嶽名併同由来」の表記にしたがいます。
三人の兄弟がおりましたのじゃ。一番上は「またねましず」、次は「なあたはつ」、三番目は「平川かわら」といいまして、三人とも立派な男じゃったが、長兄の「またねましず」が一番よい男であった。
マタネマシズは一人で石城山の中に住んで、神霊を篤く信じて暮らしていたのであった。
ある日――その日は寅の日であったが――の未明、
忽有霊元泰神、出現于宮鳥山。
たちまち霊元泰神ありて、宮鳥山に出現す。
突然、「霊元泰」(れいげんたい?)という神様が、宮鳥山という山に出現した。
これだけ読むと「へー、出現したんだ」と思うかも知れませんが、沖縄の神様は「現人神」です。巫祝たる神女が、神霊の憑依を受けて、そのままに「神」となるものでありまして、この「出現」も「琉球国由来記」の和文を読むと、
寅の日、暁天に、テマサシモトタイと申す御神、マタネマシズ(の)妹に御乗移り、宮鳥山というところにて、託宣。
ということであったと知れる。
託宣に曰く、
神者人之父母也、人者神之子也。人与人、皆兄弟也。宜恭而有礼。吾視世人、常好争闘、害人性命、如殺鳥獣、是誠神明之所厭也。
神なるものは人の父母なり、人なるものは神の子なり。人と人と、みな兄弟なり。よろしく恭にして礼有るべし。吾、世人を視るに、常に争闘を好み、人の性命を害すること鳥獣を殺すが如く、これ誠に神明の厭うところなり。
―――おにいさま! 神さまというのはニンゲンのおとうさま・おかあさまです。ニンゲンは神さまの子どもです。ニンゲンどうしは兄弟だから、みなお互いを尊重しあい、秩序正しく暮らさねばならないのです。なのに、世間のひとたちはどういうことでしょう。いつもあらそいを好み、他人の命をそこなうのは、まるで鳥やケモノを殺すみたいにたやすい。こんんなの、神がみのほんっとにいやがることなんですからね。
いいですか、お兄さま。
あなたは善い心をいつも保ち、神を信じ人を愛し、神さまの御心にかなうようにしなさい。そうすればわたしは宮鳥山に棲みついて、これからずっとお前の行く末を見守ってあげるから―――。
言い終わるや、憑いていたものが落ちたのであろう、妹は気を失って倒れた。
漢文の表記では、
言訖不見。
言訖(おわ)りて見えずなりぬ。
言い終わると神の姿は見えなくなった。
となっていて、神様の姿が消えたように書かれておりますが、「由来記」によれば「神ハアガラセ給フ」ということなので、妹に憑いていたのがどこかに行ってしまった、ということのようです。
マタネマシズはこの託宣を聞いていよいよ信仰を篤くし、ついにこの宮鳥山の麓に草ぶきの庵を結んで暮らし、弟や妹、さらに隣家のひとびとと睦まじく暮らした。
そのためであろう、
人或遭凶年、雖不免于飢寒、而他独不受其苦。
人、あるいは凶年に遭い、飢寒に免れずといえども、他(かれ)独り、その苦を受けず。
ほかのひとたちは凶作のために飢餓と寒さを免れないような状態になっても、マタネマシズたちだけはそんな苦しみも受けないでいられたのであった。
ひとびとはこれを見て、
「兄弟や人と仲良く暮らすのが如何に大切なことか」
ということを知り、おいおいマタネマシズ兄弟のまわりに集まって来て、二つの村を構成するようになった。
これが今の石垣島の石垣・登野城の村であり、宮鳥山にいまします神さまは
曰神宇里花、又有一威部名、曰豊見親大登良伊。
曰く、「神宇里花」。また、一威部ありて名づけて曰く、「豊見親大登良伊」。
また「由来記」の表記を借りますと、
神の名は「をれはな」。オイベ(至聖所)に祀られるのは「豊見(とよみ(おや))たとらい」。
とおおせられるのである。
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大嶺里之子・鄭秉哲等編「琉球国旧記」巻九「宮屋鳥嶽」より。「琉球国由来記」で提出させた和文の伝承類を漢文化したのが「旧記」なのである。
この三兄弟の「妹」(もしかしたらこのひとの名が「たとらい」なのかな?)のような存在が「をなり神」(姉妹神)である。
・・・ではさようなら。かもしれません。明日はこのお話の宮鳥山の近くにしごと。明後日がお◎おりの島へ・・・。