八日になりました。ああ早く休日にならないかなあ。
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もう寝ますよ。その前に、何にも書かないよりは何か書いた方がいいであろう、と思うて、書きます。
曰く、
香餌非不美、亀龍聞而深蔵、鸞鳳見而高逝。
香餌美ならざるにあらざれども、亀龍聞きて深く蔵(かく)れ、鸞鳳見て高く逝く。
よい香りのする食べ物で、おまけにこれは美味なのじゃ。けれど、巨亀や龍はその香りを嗅ぐだけでより深い淵に逃げ込み、鸞鳥や鳳凰はそれを目にしただけでより高く飛び去ってしまう。
高邁なるモノは、香餌に魅かれることはない。
また曰く、
玉屑満篋、不成其宝。
玉屑は篋(きょう)に満つるもそれ宝と成らず。
玉のクズはたとえ箱一杯にあったとしても、宝物とは言い難い。
畏れながら聖人・孔子の弟子たちのことを喩えに引かせていただく。
孔子には多くの門弟があったが、「史記」(「仲尼弟子列伝」)を閲するにその主たる者は七十人であったという。
しかし、彼ら
七十子、去父母、捐室家、負荷而随孔子、不耕而学。其乱愈甚。
七十子、父母を去り、室家を捐(す)て、荷を負うて孔子に随い、耕さずして学ぶ。その乱るるやいよいよ甚だし。
七十人の弟子たちは、両親のもとを離れ、妻や子も顧みず、荷物を背負うて孔子のもとにつき従い、耕作をこととせずに一心に学問した。そのせいで世の中はさらに乱れたのだ。
これこそ
玉屑満篋
というものである。もし彼らが国を安んじ人民に利益を与えたのであればまことの宝であったろうが、彼らは上っ面の美しい言葉と古代の遺制を論ずるばかりで、この時代の用には立たなんだのだ。彼らは箱一杯にあっても宝ではない。
また曰く、
有粟而不能食、無益於饑。覩賢而不能用、無益於削。
粟有れども食らうあたわざれば饑(う)うるに益なし。賢を覩(み)れども用うるあたわざれば削らるるに益なし。
穀物が目の前にあってもそれを自分で食べることができないのなら、空腹を解決することはできない。賢者が目の前にいても彼を用いないのなら、国家が弱体化していくのを解決することはできない。
人材のミスマッチ、というやつですかね。
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別に具体的に言いたいことがあるわけではありません。備忘レベルに書きつけた。すべて漢・桓寛の撰むところの「鹽鉄論」より。