平成25年1月7日(月)  目次へ  前回に戻る

 

七日です。もう松の内も終わりかあ。

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今日は御伽衆としてお屋形さまに御報告をせねばならぬ。お屋形さまよりは、

―――沖縄の現状を報告せよ。

という御指示が来ているのじゃ。

う〜ん、めんどくさいな。間違ったこと書くと批判されるし(正しいこと書いても・・・)。

自分で考えるのめんどくさいので人の書いたものを流用いたします。

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主として士族のグループは黒党・頑固党・開化党の三派に分かれておりますな。この三派は運動方法や手段は多少異なっておりますが、藩政に復旧せんとの目的はともに一つでございます。

黒党・頑固党の両派は、専らシナ政府に依頼するの策を取り、頻々密航してシナ政府に向かいて嘆願し、内にあつては折に触れ事に託し、一令の出る毎に隠然非議して上下の人心を離間するを務めとす。或はシナ政府が琉球国保護の為め軍艦を差遣する抔(など)と流言し、以て愚民を惑わし人心を収攬せん事を計る。

而して、(このうちの)黒党はシナ専属主義、頑固党は日清両属主義。故に其主義は異なるもシナに倚(よ)りて復旧を図る一事に至りては、両党互いに相提携して運動せり。

特に頑固党は旧藩主を担ぐことで党勢の強固をはかっておりまして、現在、鉱工業、運輸業などの事業の役員はみなこの党の党員であるというべき状態。彼らは隠れて旧藩時代の職名を名乗り、一つの藩がなお在るかのように振る舞っております。その組織における給与が年俸数千円もあると申します。

ただ、彼らの運動は、実りあるものとは言い難い。

一つには清国政府の方の問題で、両党の者たちは清国政府に琉球の復旧を働きかけ嘆願しておりますが、その嘆願のたびに担当官に賄賂を出さねばならん。担当官はその賄賂の中からなにがしかを差し引いて、中央政府の要路にある方に嘆願を取り次ぐわけですから、これはある種「私的手数料」というべきものでありますが、これを支払っているのに、果たして中央政府に実効ある嘆願が届いているかどうか、怪しいのでございます。

また一つは彼ら党派の中の問題で、実はかれらのうち一二人の首領株を除けば、

名を正議に借りて金を醵(きょ)し、(日清間の)彼我往来の間に物品を売買し、非常の利益を得るを目的となせり。(シナの雑貨を密輸入すれば、少なくも三倍以上の利益ありと云う。故に志士皆な密航を欲するの内実あり。本島人(←本土人の意)の政党、商売を以て口糊すると異なる無し。)

両党の党員で清国内にある者、現在二十余名でございます。

さて、開化党でございますが、彼らは両党と違い、常に開化進歩に従事し、日本に専属を希望しております。しかし旧藩主をして王位に復帰せしめんとの考えはなお消滅していない。ただ、現在ではもう秘密の会合などは開いておらず、党派内での軋轢もおいおい薄らいでおる模様。ただし、頑冥固執にございますれば、表では仲良くしても裏では反発しあうというのがもはや一つの風習のようになっております。

・・・と、ここまでは士族連中のことでございます。現代に置き換えてみれば、いわばインテリ。大学から小学校までの教職員や新聞などを書くような人たちですな。

平民につきましては、彼らはいずれの時代にもいずれの地でも至って健全なものでございます。

我が(明治の)新政を悦ぶの形跡あるは実事蔽うべからざるものあり。主因は旧藩政の時にありては賄賂公行、その費用正租に倍するを以て人民卑屈を極め、一日の生計に安んじて、亦た次日の慮りを為さず。(ところが)今や是れに反し、官民の費用従前と比較するに、凡そ三分の一を減省せるを以て漸漸富裕の域に進み、以て藩治を再びすべからざるの実勢を呈せり。

これは国家にとって慶賀すべき状況というべきでありましょう。

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以上、報告終わり。笹森儀助「南嶋探検」一、明治26年6月5日条より。原文引用部分もカタカナをひらがなに直す、漢字を改める、などした。

明治26年(1893)のことということですから、日清戦争(甲午事変)の前年(癸巳年)ですね。これを平成二十年代半ば現在の報告に差し替えても構造としては何となく使えそうな気がして引用してみました。もちろん、似ているのは「構造」だけですよ。絶対、絶対、絶対、来年の甲午(2014)年に「日清戦争」がまた起こる、というようなことではありません。絶対・・・。

 

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