まだ休日にならないのかあ。あといくつ寝ると休日だろうか。
今日ももう寝ますよ。その前に、何にも書かないよりは何か書いた方がいいであろう、と思うて、書きます。
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伝聞令郎之変、悲惨不可言。
令郎の変を伝え聞き、悲惨言うべからず。
息子さんが亡くなったと聞いた。悲しく、さびしく、コトバにならない。
人生事事、皆従憂患来。到憂患已成、真是無可奈何。
人生事事、みな憂患より来たる。憂患のすでに成るに到れば、真にこれいかんともすべき無し。
われらの人生のくさぐさ、すべて心配していたとおりのことが起こるばかりだ。心配していたとおりのことが起こってしまえば、本当にそれをもうどうすることもできないのだ。
こういうことは、ホトケさまでも「達観」して諦めてしまうことしかできない。
算来惟有勧先生忍些老涙而已。
算来するにこれ、先生いささかの老涙を忍ばんことを勧むる有るのみなり。
これらのことを考えあわせて、あなたには、老いの涙を少しでもがまんしてほしい、と申し上げることしかできない。
(中略)
ところで、
弟積病已成。
弟、積病すでに成る。
わたしも病いの床にあり、すでに長くなります。
怕有鬼伯来召。惟詠陶公詩云、銜戢知何謝、冥報以相貽也。
怕(おそ)る、鬼伯の来たり召す有るを。ただ陶公の詩を詠じて云う、
銜戢(かんしゅう)して何の謝を知らん、
冥報以て相貽(おく)る、と。
そろそろ霊界のお方がお迎えに来るのかなあ。陶淵明の詩句を思い出して、口ずさむばかりです。すなわち、
心の中で感謝するばかりで言葉にはなりません。
御恩はあの世でお返し申す。
以上。
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そろそろ肝冷斎もあの世行き、かな・・・・・・・・・などと思っているわけではなくて、
人生事事、皆従憂患来。
という言葉に感動してので、みなさまにも教えてあげよう、と思ってご紹介申し上げたまでである。
清・呉穀人「寄廖復堂」(廖復堂に寄す)(「清儒尺牘」巻上より)。呉穀人先生が先輩に当たる廖復堂先生のご家族の御不幸に際して送った手紙である。
呉穀人は銭塘のひと、名を錫麒、字を聖徴といい、「穀人」と号す。乾隆年間に進士となり、編修官から祭酒(学官)へと進んだ。その書室を有正味斎といい、その文集を「有正味斎集」という。
なお、引用されている陶淵明の詩句は「乞食の詩」。陶淵明は役人を辞め、「帰去来」して自作農となったのだが農業があまりうまく行かず、知り合いに食糧援助を受けたのである。そのときの感謝の詩。確かにハラ減ったときに食わせてもらった恩はなかなか忘れることができぬではありませんか。あの世に行くときもやはり心に抱いていくべきであろう。
・・・父上さま、三日とろろ美味しうございました。干し柿、もちも美味しうございました。敏雄兄、姉上様、おすし美味しうございました。克美兄、姉上様、ブドウ酒、リンゴ 美味しうございました。厳兄、姉上様、しそめし、南ばんづけ美味しうございました。・・・・・(円谷幸吉「遺書」)