うちゅ。やっぱりを気を使う飲み会で心の圧が落ちた。その上に がしごとでぎゅうぎゅうしたのがラストストロー。
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友人の汪銘甫がこんなことを話して行った。
乾隆年間、蘇州に趙延洪なる者がおった。正直者で正義感に富む男であった。
偶見隣婦与少年調笑、遽告其夫。
たまたま隣婦の少年と調笑するを見、にわかにその夫に告ぐ。
ふと、隣の家の女房とどこかの若い衆が笑い戯れているのを覗き見てしまい、すぐにそのことを隣家の夫に教えてやった。
そして、その夫と相談し、夫はしばらく遠出すると称して趙の家に隠れて女房の動向を窺ったところ、その晩には若い衆がやってきて女房と乳繰り合うたから、夫と趙でその場に踏み込み、有無も言わさず
駢殺。
駢殺す。
二頭立ての馬車を曳く馬のように、二人並べて殺した。
それから役所に自首して事情を告げたので、正当行為と認められ、無罪となったのであった。
ところがその半年後、
趙忽発狂作隣婦語、索命。引刀自斫、家人力救。
趙、たちまち発狂して隣婦の語を作(な)し、命を索(もと)む。刀を引いて自ら斫(き)らんとし、家人力救せり。
趙は突然おかしくなって、死んだ隣家の女房の口ぶりで話しはじめ、「趙の命を取らせてもらう」と言い出したのである。そして刀を抜いて自分で自分を斬ろうとしたので、家中で押さえこんで刀を取り上げた。
すると、
噛舌而死。
舌を噛みて死せり。
体を押さえこまれたまま、自分で舌を噛み切って、死んでしまったのである。
しかし、夫の方にはその後もどうということは無かった。
隣の家の男の女のことを覗き見る、ということがやはり本来よろしく無かったのであろう。そして、親族でもないのに家の恥である姦婦を殺すのに手を貸したこともよろしくなかったのかも知れない。
游魂為氏A殆自作之孽也。
游魂の獅為すは、ほとんど自ら作すの孽なり。
さまよう死者のたましいがタタリをなすことはよくあるが、それはたいていのところ、祟られた者が自分で作ってしまったわざわいである。
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清・梁恭辰「北東園筆録」三編・巻四より。よけいなことするやつはヤラれて当然ですが、なにより心の弱いやつからヤラれていくのではなかろうか。つらいことです。あと二日で世界終末・・・それまでなんとか・・・もし世界滅びなければもう自分で・・・