今日も波照間で賢くなった。
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明不可以殫色、聡不可以殫声。
明は以て色を殫(つ)くすべからず、聡は以て声を殫くすべからず。
どれだけ視力がよくても、目に見えるものをすべて見尽くしてしまうことはできない。どれだけ聴力がよくても、耳に聴こえる音のすべてを聞き尽くしてしまうことはできない。
ニンゲンの能力には限りがあるのだ。
しかし、一方で、もうこれ以上のものを見ることがなく、これ以上音を聴くことがない、という状況を生み出すこともできる。
すなわち、
殫色者昏察、殫声者阻聴。
色を殫(つ)くす者は昏察なるものにして、声を殫くす者は聴くを阻まるるものなり。
見えるものがそれ以上なくなるには、視力が悪くなればいいのである。聞こえるものがそれ以上無くなるには、聴力を邪魔するものがあればいいのである。
よって、
一芒之眩、不見泰岳。一塵之窒、不聞震霆。
一芒の眩や、泰岳も見えず。一塵の窒や、震霆も聞こえず。
一閃の光芒に目がくらむと、巨大な泰山も見えなくなる。一片のごみくずが耳を塞ぐと、落雷の音さえ聞こえなくなる。
というのである。
今日は、この世においてはある程度、鈍感であること。「眩窒観」(目のくらみ、耳の塞がりというものの観方)を学びましたぞ。
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清・周寿昌「思益堂日札」巻二より。
べんきょう、べんきょう、またべんきょう、じゃ。