平成24年11月25日(日)  目次へ  前回に戻る

 

波照間から帰ってきました。賢くなったのに、明日からまたオロカ者に戻るのか。残念なことだ・・・。

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と嘆いておりましたら、汪容甫がやってきまして、曰く、

平生有三憾。

平生、三の憾(うら)みあり。

わしも、ふだんから、三つ残念なことがあると思っておるのだよ。

「ほう、どんな?」

一憾造物生人必飲食而始生。生不百年而即死。

一の憾みは、造物の人を生ずるに必ず飲食して始めて生く。生くること百年ならずして即ち死すること。

@   残念なことの一つ目。世界を創り出したとき、ニンゲンも生まれたのだが、ニンゲンは飲み食いしないと生きられないようになっているのだ。そして、百年も生きることができずに死んでしまうのだ。

一憾生無両翼可飛蹋九霄。足不四蹄可徒走千里。

一の憾みは、生じて両つの翼の九霄に飛蹋するべき無く、足は四蹄の千里を徒走すべからざること。

A   残念なことの二つ目。生まれながらにふたつの翼が無いから、鳥のように大空飛び上がり翔けることはできない。足は四本無いので、ケモノたちのように千里の遠くまでひたすら走っていくこともできないのだ。

一憾古人但著述流伝、不能以精霊晤対。

一の憾みは、古人はただ著述の流伝するのみにして、精霊を以て晤対するあたわざること。

B   残念なことの三つ目。いにしえの賢者たちは、遺した言葉や著書が伝わるばかりで、その精霊に直接、はっきりと疑問を質すことができないのだ。

「なるほどなあ。ニンゲンは飲み食いのために生きているようなものだからなあ。そして、むかし鳥だったのだろうから翼は欲しいし、ケンタウロスの足も欲しい。だが、古人の精霊が直接あらわれるのはどうか。いつも見張られていたりすると恐ろしいではないかのう・・・。君には恐ろしいものはないのかな?」

有三畏。

三畏あり。

おそろしいものも三つある。

「どんなものじゃな?」

畏雷電、鶏鳴、婦人声。

雷電、鶏鳴、婦人の声を畏るるなり。

カミナリの音。「また朝が来た」と告げるニワトリの声。そして、女の声だ。

女の声は、甲高い怒鳴り声も、猫なで声も恐ろしい。

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清・周寿昌「思益堂日札」巻五より。べんきょうになった? 汪容甫は名を中といい、筆者と同時代の19世紀中ごろの人らしいが、詳しいことはわからない。

 

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