明日はうまく行く、明日はうまく行く、明日はうまく行く、明日はうまく行く・・・
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以下、こどもは読まなくていいのですが、(というとこどもの目はらんらんと輝き始めるのであるが)
海人魚
というセイブツがあるのだそうでございます。
このセイブツは果たして「魚」であろうか。
状如人、眉目口鼻手足、皆為美麗女子、無不倶足。
状は人の如く、眉目口鼻手足、みな美麗の女子を為して倶足せざる無し。
すがたはニンゲンそっくりで、眉も目も口も鼻も手足も、すべて美しい女のようで足らないものはない。
注意すべきは「足」があることで、「下半身は魚」の欧州型マーメイドではない。
肉白如玉、灌少酒便如桃花。髪如馬尾、長五六尺。
肉白きこと玉の如く、少しく酒を灌げばすなわち桃花の如し。髪は馬の尾の如くして長さ五六尺なり。
肌は玉のように白いが、少しお酒をかけてやると、ぱっと桃の花のように赤みがさす。髪の毛は馬の尾のようにばさばさで、五〜六尺の長さがある。
面妖なことに、
陰形与丈夫女子無異。
陰形、丈夫・女子と異なる無し。
陰部は、ニンゲンのおとこ・おんなと同じ形なのである。
いずれも美しい女のような外見なのだが、中におとこ・おんなの別があって、それぞれのモノがついているというのである。
そこで、海に近い地方では
鰥寡居多取養池沼。交合之際小不異人。
鰥寡、居るに多く取りて池沼に養う。交合の際、小も人に異ならず。
妻の無いおとこ、夫の無いおんなは、その地でこの海人魚を捕まえて、逃げられない池や沼で飼養している者が多い。男女としてまじわるときにはニンゲンのおとこ・おんなと少しの違いも無い(ので、まじわる)ためである。
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元の林坤の覚書である「誠斎襍記」(せいさいざつき)巻上より。言っておきますけどわたしが妄想を逞しうして考え出したのではなく、ほんとに昔のひとが書きのこしたことですからね。キモチ悪いとかイやらしいとか非人道やらドウブツ愛護やらで批判するなら、著者の林坤さんやこの書を何世代も伝えてきたチュウゴクの読書人のみなさんを批判してくださいよ。
それにしても、あまりにもうそくさい。こんなセイブツいるはずがない。もしいるとしたら、「ニンゲンそっくり」と言っているので、単にそういうニンゲンであったのでしょう。(参考)
しかし、こんなことでも何度も何度も言い続けていたら本当のことではないかとみな疑いはじめるものなのだ。
だからわしも「明日はうまく行く」「明日はうまく行く」「明日は・・・」と百度、千度と繰り返して、それが本当になることを祈りながら今日は眠ることにするのだ。