わしのような木偶は心の反応が無いので、どうしても無表情に見え、一段とお怒りを買うのです。
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明の永楽年間(1402〜24)、監察御使となった周新の浙江での逸事。
まもなく出張先である州府に到着しようとしたとき、
道上蠅蚋迎馬首而聚。
道上に蠅蚋の馬首を迎えて聚まれり。
道路を進んでいると、周の乗った馬のアタマのあたりにハエとブヨが集まってきた。
「ふむ」
使人尾之、得一暴尸。唯小木布記在。
人をしてこれを尾せしむるに、一暴尸を得たり。ただ小木の布記のみあり。
周は信頼する配下の鄭二に「おい、あのムシたちの行方を見てこい」と命じて、そのムシたちが移動するあとをつけさせた。すると、ムシたちの行く先には一体の死体が転がっていたのであった。その死体のそばには、わずかに小さな木切れが落ちていて、それには商号らしきものが印された布片が結び付けられていた。
「それがあれば何とかなるじゃろう」
周新は役所に到着すると、まず
令人市布。
人をして布を市(か)わしむ。
鄭二に市場に布を買いに行かせた。
そうしておいて、自らは役所の帳簿などを持って来させて
「わしはこちらが本職じゃからな」
と官吏の非違の取り調べを始めたのであった。
鄭二は市場に行き、「役所の方で布が入用になったので、手持ちの布を売ってほしい」と触れさせた。
官用であれば掛け値なしに高く売れるであろうと、商人たちが次々と商品を持ちこんで来たが、「ほかには無いのか」とさらに広く宣伝させたので、大手の商人以外の者も、次々と手持ちの布を売り込みに来たのであった。
数日後―――。
「ございました」
と鄭二が役所で汚職官僚の取り調べをしている周のもとに帰ってきた。
鄭二は、死体の側に落ちていた布片にあったのと同じ印のついた布を見せた。近在の小物商人の某が持ちこんで来たものという。
「よし、そいつを、布を買いたい、と言うて連れてこい」
某は周の前にいそいそとやって来た。
周は某を見て、にこやかに
「おまえの布は佳い布だな。ところで・・・一つ教えてくれるかな?」
「は?」
「殺したのもおまえなのか、それとも別の者なのか」
某は一瞬とまどったようであったが、次いで愕然として、
「わ、わたしでございます・・・」
と平伏したのであった。
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さらに役人どもの取り調べを進めておりましたある日、
旋風吹異葉至前。
旋風吹きて異葉、前に至れり。
つむじ風が吹いて、変わった形の葉っぱが周の前に落ちてきた。
「ほう。この役所にはこんな変わった葉のついている木があるのか」
と左右を見回すと、役人どもはクビを振り、言う、
城中無此木、独一古寺有之、去城差遠。
城中この木無し、ひとり一古寺にこれ有るも、城を去ることやや遠し。
「この役所の近くにはこの木はございません。ある古い寺に一本だけ生えているのでございますが、ここからは少し離れておりまする」
「ふうん・・・」
周はしばらく考えているふうであったが、
「とにかくその寺に何か変わったことがあった、ということなのだろう・・・」
と呟き、鄭二を呼び寄せると、寺に聞き込みに行かせたのである。
すると、最近その変わった葉をつける木の根元が掘り返され、木が大きく傾いたことがわかった。そのため、葉が風に乗ってこれまで届かなかった役所のあたりまで飛んで行ったのである。
鄭二は周に報告するとともに、ひとびとを募って木の根元を掘り返したところ、
得婦尸。
婦の尸を得たり。
おんなの死体が出てきた。
けだし、寺の僧がひそかに通じていた女といさかいがあって、これを殺して埋めたのであった。
周は顛末を報ずる鄭二に向かって、
「葉っぱの形が変わっている、などという小さなことが気になったのは、
冤魂告我矣。
冤魂の我に告ぐるなり。
無念の思いのたましいが、わしを呼び寄せたのだろうな」
と言うて、笑った。
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この周新は南海の人、科挙の最終試験に合格したエリートではなく、地方試験である郷科から選ばれて監察御使となった剛直の人で、貴族や皇后の親戚であっても容赦せず、表情も変えずに非道を論ったことから、
「冷面寒鉄」(冷徹にして反撃にびくともしない)
と評されたたたき上げの名臣である。
ところで、このころ永楽帝は、自らの直属の秘密警察である「錦衣衛」を組織して各地の情報を集めていた。
この錦衣衛の指揮使・紀綱が己れの腹心の千戸長(佐官レベルの軍人)を遣わして、浙江で
作威受賂。
威を作して賂を受く。
無辜の者たちを責めて脅し、賄賂をとった。
ということがあり、その証拠をつかんだ周新は千戸長を捕らえようとしたが、逆に北京の紀綱によって罪に問われた。それでも周新は自信を持って千戸長の有罪を証する証拠を提出したが、それがペキンに届く前に彼への判決が下され、即座に死刑に処されたのであった。
嗚呼。公能暴人冤、而身不能免冤死。天道可疑矣。
ああ。公よく人の冤を暴くも、身は冤死を免るるあたわず。天道疑うべきなり。
ああ。周新どのは無念の思いで死んだひとびとのために多くの罪を暴いたが、自分は無念の死を遂げてしまったのだ。おてんとさまは間違っているのではないだろうか。
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と、明・馮夢龍編「智嚢」巻十に書いてありました。周新というひとは、ほんの小さな変化から、犯罪を見出して行く注意力あるいは想像力のある人で、しかも国や人民のために働こうという意欲のある人であったのでしょう。
わしは木偶なので外界に心があまり反応しないので、「冷面寒鉄」ですよ。叱られても無表情に少し下を向いているばかりです。周新さまとは能力にはだいぶ差があるけど。
ちなみに周新を無実の罪で処理した紀綱も、後に「ひそかに一万の兵を蔵して恐ろしいことを謀っていた」という罪に問われて誅殺されております。明代は漢民族の国らしく、元よりも清よりもコワい。