そろそろ潮時かな。
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馮某は無錫の町で雑貨の卸店をやっていた。
あるとき、一人の客がやってきて、「なにがしの商品を若干欲しい」と言うのである。この客、色白で整った顔立ちをした貴公子であったが、まるで仮面をかぶっているのかと思うほどいつも無表情であった。
指定した日になると店の裏手の運河に船がやってきて、荷物を積み込んだ。
そのまま客は馮の所有する貸家に泊まり込んでいたが、数日すると船は何処かに行ってしまった。そういえばその船の乗り組み員も荷物を積み込む人足も誰ひとり見なかったことが不思議といえば不思議であった。ただ夜明け方に人の声や気配がしていたに過ぎない。
代金の支払いはいまだ無いが、本人が居残っているのだから問題ではないだろう。
ある日の暁方である。
その日はいくつか商談があったので、馮は早めに店を開こうと、店の者とともに戸を開けた。このとき、ふと暁闇の中、あの客を住まわせている貸家の方を見ると、
房中灯火熒然。
房中、灯火熒然(けいぜん)たり。
部屋にあかりが煌煌とついているのである。
(あの客、こんな夜明け方に何をしているのであろうか)
好奇心も手伝って、
於隙中視之。
隙中よりこれを視る。
そっと隙間から覗き見てみた。
すると・・・
此客跪坐、剪紙作人馬状。書符焼之。
この客、跪坐し、紙を剪りて人馬の状を作す。符を書してこれを焼く。
その客は、正座して紙を切って馬にニンゲンが乗っている姿の切り紙細工を作っていた。そして、その切り紙に何か呪文のようなものを書きつけて、灯火にかざして火をつけ、焼くのである。
紙はたちまちに炎をあげ、煙に変じた―――
と、その煙の中から、
人馬復活。
人馬、また活す。
ニンゲンを乗せた馬が実体化して、そこに現れたのである。
それは先ほどの切り紙細工と同じ大きさで、色も紙と同じ白一色だったが、自ら意志あるもののごとく、動いた。
客は無表情にそのような細工を何体が作って、それらをすべて実体化させた。
次いでまた別の紙に何か呪文を書きつけ、焼いた。
炎があがる。
その炎から煙が舞い上がると、客はその煙を先ほどのニンゲンと馬に吹き付けた。
ニンゲンを乗せた馬たちは煙とともに舞い上がり、
倶入壁中。
ともに壁中に入る。
いっしょに壁の中に消えて行った。
(わしは夢を見ているのか?)
馮は覗き見していた目をこすって、もう一度隙間から覗き込む。
馮が再び覗き込んでほんの数呼吸も経たころ、先ほどのニンゲンを乗せた馬は壁の中から次々と浮き出すように現れ、
倶回。各持食物擺卓上。
倶に回る。おのおの食物を持して卓上に擺(ひら)けり。
一緒に戻ってきた。それぞれ食べ物を持ってきており、それをテーブルの上に置いたのであった。
客はそれをつまもうとする・・・・・・・・。
「おいおい!」
馮は豪気な男であったから、たまらず扉を開けて、詰問した。
「いったい、おまえさんは何ものなのだ?」
則人馬都散。
すなわち人馬すべて散じたり。
その途端、ニンゲンを乗せた数体の馬は、すべて消えうせた。
―――まるで煙のように・・・。
このとき、ほんの少しだけ、無表情な客の顏が動き、笑ったように見えた。
テーブルの上にはさきほど馬に乗ったニンゲンが持ってきた料理が残っている。馮はその中のだんごを見たところ、
「これは某の店の売り物ではないか」
と気づいたので、急ぎ人を走らせてその店に行かせると、ちょうどそのとき蒸籠で売り物のだんごを作っていたが、
籠中各少数枚。
籠中おのおの数枚を少(か)く。
蒸籠の中のだんご類は、どの種類も少しづつ少なくなっていた。
そこで大騒ぎとなり、ひとびとはその客を役所に連行したのである。
役所での尋問には、客はすべて身に覚えの無いこと、と答えていた。
尋問官が業を煮やして、
「ええい、口を割らぬか」
と拷問用の杖を振り上げ、彼を撃とうとした―――が、杖はしたたかに地面を撃っただけであった。
人跡滅矣。
人跡滅べり。
その人の姿、もうどこにも無かった。
どこをどう探しても見つからなかった。これが妖術というものなのであろう。
しばらく馮は仕返しを恐れていたが、特に変わったことは無かった。しかし、最初に船に積んだ荷物はとうとう見つからず、その分の損害には甘んじなければならなかったのだった。
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清・東軒主人「述異記」上巻より。
・・・十七世紀末ごろに無錫に現れたこの無表情な男が、肝冷斎ではない、とあなたは断言できますのかな?
わっはっはっは、もうわしは現世にキレてきましたので、おまえさんらのへなちょこ杖を食らう前にそろそろ・・・。(明日更新が無ければ本当に消えたと思われるがよいぞ)