平成24年10月28日(日)  目次へ  前回に戻る

 

明日は月曜日。また仮面かー。(>_<)

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嘉慶十八年(1808)。

河南某県は白蓮教徒の乱によって陥落し、県令某は行方不明となった。

このとき、県令は難に殉じたと報告があり、朝廷は

予卹蔭、賜特諡。

卹蔭を予(あた)え、特諡を賜う。

その遺族をあわれんで「蔭」(先祖の功績によって子孫を官職に任命すること)によって官職を与え、また殉難した県令に特別に諡号をたまわった。

ところが、

久之、令逃至他県。

これを久しくして、令は逃げて他県に至る。

この県令某は実は逃亡しており、ずいぶんしてから他の県に逃げてきたというのである。

この県の県令は某の遠い親戚であったが、

大恐、迫之縊死。

大いに恐れ、これに迫りて縊死せしむ。

このことがばれるのを大いに恐れ、逃げてきた某に無理やり首をつって自殺することを求めた。

某は、やむを得ずこれにしたがった。

事遂隠。

こと、ついに隠る。

こうして何とか、真相は明らかにならずに済んだ。

という。(あくまでウワサばなしであるが・・・)

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道光二十九年(1849)。

河南の白蓮教徒・李阮発が衆を率いて新寧の町を侵した。

李阮発は新寧を掠奪すると、数日で乱徒を率いて逃げ去った。

監司の業某は

以阮発為官兵轟斃報撫軍。

阮発を以て官兵の轟斃するところと為ると撫軍に報ず。

軍の動向を監督する監司の業なにがしは、「阮発めは官軍の砲撃によって戦死し、将を失った反乱軍めは逃げ出したのでございます」と軍団長の撫軍に報告した。

撫軍采以入告。

撫軍、采りて以て入告す。

「そうじゃろう」

軍団長はその報告をそのまま朝廷に上奏した。

いまだいくばくならずして、

阮発出就擒、解至京磔死。

阮発出でて擒に就き、解して京に至りて磔死せり。

阮発は自ら出頭して捕縛され、北京に送致されてついにはりつけされて死んだ。

そのころ、阮発の戦死を報告した監司と撫軍の姿は見えなくなった。

しばらく後、

倶遣戌。

ともに遣戌す。

二人とも仲良く辺境の守備隊で一兵卒として働いているのが見られたという。

飛ばされただけで済んだのです。

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「思益堂日札」巻二より。いつまでも仮面をつけているとそろそろ大失敗しそう。縊死を迫られるのかな? 辺境の守備隊ですむのかな?

 

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