台風来てるよー。琉球童子だいじょうぶかな?気になるけど、遠く離れているのでどうしているかわからない。
さて、遠くのことを見ようとしたら、「円光術」が一番でちゅねー。え? 「円光術」を知らない? うひゃ、そんなことも知らずにオトナのふりして生きてんの?
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南朝宋の劉義慶が怪を志した「幽明録」を閲するに、以下のようなことが書いてあった。
五胡十六国の時代に趙の国を建てた石勒(せきろく)が、西域よりやってきた僧・仏図澄に訊ねた。
劉曜可擒。兆可見否。
劉曜擒すべきか。兆、見るべきや否や。
―――(宿敵の)劉曜を擒(とりこ)にすることができるか。 君は将来の予兆を見ることができるかね?
仏図兆は童子に斎戒させると、
取麻油掌中研之。
麻油を取りて掌中にこれを研がしむ。
麻を絞った植物性の油を手のひらに載せて、それを別の手でこすらせた。
そして、仏図澄はその童子の前で栴檀のお香を焚き、呪文を唱える。
しばらくすると、澄は「むん」と両手を挙げ、自らの手のひらを童子の方に向け、念を送った。
すると不思議や。
童子掌内晃然有異。
童子の掌内、晃然として異あり。
童子のてのひらが輝きはじめたのである。
「うひゃあ、光ってまいりまちたよ」
「ふふふ。さて、童子よ、きみのてのひらの中に見えるモノを言ってごらんなさい・・・」
「あい」
童子曰く、
惟見一軍人。長大白皙。有異望。以朱糸縛其肘。
ただ一軍人を見るのみ。長大にして白皙、異望あり。朱糸を以てその肘を縛れり。
「えーとでちゅね、高級軍人がひとり、見えますね。大きな人でちゅ。そして色白で、変な顔かたちをしています(おそらく西域人でしょう)。おりょりょ、肘のところに赤い糸を結わえ付けていまちゅよ」
そこまで聞いたところで、傍にいた石勒が言うた。
―――それは劉曜じゃな。確かにわしが一度やつを見たときは肘に赤糸を巻いていた。彼の怒りに触れた者は、その糸を以て首を括られるが常であった。
「されば」
と仏図澄は言うた、
「劉曜は必ず、近きうちに陛下の手のうちに入りましょう。ふ、ふふふ・・・」
その言葉どおり、
其年果生擒曜。
その年、果たして、曜を生擒す。
その年のうちに、劉曜は石勒に生きたまま捕らえられたのであった。
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と、まあ、こういう術があったらしいんです。
この術は別に「円光術という」とか書いてあるわけではないのですが、今年になりまして、うちの隣の家で物が無くなった、というので、行方を探すために術士を一人呼んだのです。その術士が自ら言うに、
善円光法。
円光の法を善くす。
「わしは円光術を使いまするのじゃ」
と。
(今年は何年?ですって? 光緒五年(1879)ではございませんか。)
さて、その術士、まずその依頼主に、
「一つだけお話しておかねばならぬことがござります」
と説明した。
「もし、物の在りかが他人の処であったとしても・・・つまり、物が盗まれたのであった場合、でございますが、あなたさまが知らぬ人、あるいはあなたさまとの御縁がお薄い方、が盗んだのであれば、官に訴えるなり取り返しに行かれるなりなさってください。わたくしの術は確かでございますから。しかし、もし、物を盗んだのが、あなたさまがようくお知りの方、あなたさまと御縁の深い方であられた場合、その方とお争いになるかどうかは、どうぞようく御自身でお考えくだされ。わたくしの術は事実を写すことができるだけでございます。あなたさまにとってどうされるのが一番いいことなのか、未来の吉凶を指し示すものではござらぬによって、そのことだけようく御認識おき下され」
依頼主が頷くと、まずは術士は三日間、依頼主に斎戒するように命じたのであった。
三日後の夜、術士はやってまいりました。
そして、依頼主と自らと、弟子の童子の三人だけで一室に入り、部屋中にお香を焚きしめると、
取盤水而呪。
盤水を取りて呪う。
お盆に水を入れ、これに向かって何やら呪文を唱えた。
呪文を唱え終わると、「や、や、」と声を上げながら手印を切り、水を一掬い、童子の掌に載せた。
童子はこれを手のひらの上でこすり合わせる。すると、
燦然有光。
燦然として光あり。
手のひらの上に、輝く光が現れたのだった。
「よく見るのじゃ」
令童子視其掌内。
童子をしてその掌の内を視せしむ。
童子に、そのてのひらの中を見させた。
「あい・・・、えーと」
童子は、そこに見えるものをコトバにしはじめる。
見山川屋宇並竊物之人衣服容貌。
山川屋宇並びに竊物のひとの衣服容貌を見る。
遠景としての山、川、建物、とだんだん近づいて行って、ついに物を盗んだひとの衣服やかおかたちが見えるようだ。
それを聞いていた依頼主は、
「え? なんと・・・、まさか、あ、あいつが・・・」
と驚いたように目を見開いた。
―――術は一刻ほどで終わった。
術が終わって以降、依頼主は、物が無くなったことについては何も語らなくなった。
もちろん、術士と童子も何も語りはしなかった。
・・・・・この術、江南のひとたちは「照水盆」とも呼んでいて、かなり有名な術である。ただ
或云其術亦不甚験。但心疑某人竊物則掌内見某人。不必真為某竊也。
或るひと云う、「その術、また甚だしくは験ぜず。ただ、心に某人の物を竊むと疑えば、掌の内に某人を見る。必ずしも真に某の竊み為らざるなり」と。
あるひとが言うには、
「あの術は大して当たるものではないのです。依頼主が「あの人が盗んだのではないか・・・」と思っていると、手のひらの中にその人の姿を見るものである。ところが、必ずしもその人が盗んでいるわけではないことが多いのですよ」
とのこと。
いずれにせよ、この術、紀元三世紀の晋の時代から、少しづつ形を変えながら続いてきた伝統あるものなのである。
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と、清の周寿昌の「思益堂日札」巻九に書いてありました。
いずれにしろ呪文がわからないので現状では術使えません。メールによれば台風すごい状況みたいです。