本日もまた隠遁中。明日中におきなはに帰ることができるかな?
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今日はこの旅先で、以前のしごと仲間と会うことができました。いろいろ話したいこともあったように思いますが、
寸心言不尽、 寸心言い尽くさざるに、
前路日将斜。 前路に日斜めならんとす。
いにしえびとは心臓の大きさを一〜二寸ぐらいと考えていた。そこに血とともに熱い志が集まるものと思っていたのである。
一寸二寸の心の中のことを言い尽くすことができないうちに、
旅行くわしの行く手にもう日が傾いてきた。
という感じでした。
ちなみにこれは唐の銭起の「逢狭者」(狭者に逢う)という五絶(「唐詩選」所収)の転句・結句です。このひとは西に向かって旅していたんですね。
ところで、「尽くす」の「尽」は当用漢字で、本来「盡」と書きます。ただし、「尽」も決して新しく最近考えたのではなくて、むかしからあった略字であった。
南宋の楊誠斎先生が湖南の試験監督官をしたとき、答案の中に
見有書盡字作尽字。
「盡」字を書して「尽」字と作すあるを見る。
「盡くす」と書くべきところを「尽くす」と書いてあるものがあるのを見つけた。
先生、
笑為尺二秀才。
笑いて「尺二秀才なり」と為す。
「ぶははー」
大笑いして、「一尺二寸の受験生じゃなあ」と言った。
「尽」を「尺」と「二」に分けたわけですね。
そして、
「まあ、こいつはダメだ、文字をこんなにぞんざいに書くようでは」
と、その部分だけで不合格にしてしまった。
・・・ということですから、少なくとも宋代には普通に使われていたようです。これは「思益堂日札」巻八に書いてあった。
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お。地震だ。体感するのは久しぶりです。日高が震源?