平成24年8月25日(土)  目次へ  前回に戻る          

 

本日もまた隠遁中。明日中におきなはに帰ることができるかな?

・・・・・・・・・・・・・・・・

今日はこの旅先で、以前のしごと仲間と会うことができました。いろいろ話したいこともあったように思いますが、

寸心言不尽、   寸心言い尽くさざるに、

前路日将斜。   前路に日斜めならんとす。

いにしえびとは心臓の大きさを一〜二寸ぐらいと考えていた。そこに血とともに熱い志が集まるものと思っていたのである。

 一寸二寸の心の中のことを言い尽くすことができないうちに、

 旅行くわしの行く手にもう日が傾いてきた。

という感じでした。

ちなみにこれは唐の銭起「逢狭者」(狭者に逢う)という五絶(「唐詩選」所収)の転句・結句です。このひとは西に向かって旅していたんですね。

ところで、「尽くす」の「尽」は当用漢字で、本来「盡」と書きます。ただし、「尽」も決して新しく最近考えたのではなくて、むかしからあった略字であった。

南宋の楊誠斎先生が湖南の試験監督官をしたとき、答案の中に

見有書盡字作尽字。

「盡」字を書して「尽」字と作すあるを見る。

「盡くす」と書くべきところを「尽くす」と書いてあるものがあるのを見つけた。

先生、

笑為尺二秀才。

笑いて「尺二秀才なり」と為す。

「ぶははー」

大笑いして、「一尺二寸の受験生じゃなあ」と言った。

「尽」を「尺」と「二」に分けたわけですね。

そして、

「まあ、こいつはダメだ、文字をこんなにぞんざいに書くようでは」

と、その部分だけで不合格にしてしまった。

・・・ということですから、少なくとも宋代には普通に使われていたようです。これは「思益堂日札」巻八に書いてあった。

・・・・・・・・・・・・・・

お。地震だ。体感するのは久しぶりです。日高が震源?

 

表紙へ  次へ