はいさい! 琉球童子でちゅ。今日は肝冷斎に「おまえも何か役に立つことを言ってみなちゃい」と命じたところ、肝冷斎は居候の立場を認識しているのでちょう、
「う〜ん、役に立つこと、といわれてものう・・・」
とぶつくさ言いながらも、彼の知っている精いっぱいの「役に立つこと」を話し始めたのさー。
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わしが清の龔定盦(きょう・ていあん)先生のところで住み込みの弟子をしていたころ・・・十九世紀の半ばごろのことだったかと思うが・・・、朝大夫(朝廷に出仕している大臣)の一人に、
有受朋友之請謁、翌晨訐其友於朝、獲直声者。
朋友の請謁を受け、翌晨にその友を朝において訐(あば)き、直声を獲る者あり。
友人がひそかな頼みごとに訪れたのであったが、翌朝、朝廷においてその友人の行動を暴露し、公正だとの評判を得た者があったのじゃ。
このひと、
矜其同官曰、某甲可謂大公無私也已。
その同官に矜(ほこ)りて曰く、「某甲は大公無私と謂いつべきのみなり」と。
同僚の大臣に対し、ムフムフしながら、「やつがれは「大いに公正にしてひそかなこと無し」といわれるレベルなのかも知れませんなあ、ぶはははー」と言った。
外出先でこの事件を耳にして帰ってきた龔先生、ただちに弟子たちを集めて訊ねた。
「おまえたちは「ひそかごと」というのはどういうものだと思うか?」
弟子たちはいろいろと議論したが、やがて先生が言うには、
夏有凉風、冬有燠日、天有私也。
夏に凉風あり、冬に燠日あるは天に私あるなり。
―――暑かるべき夏にも凉しい風が吹く。寒かるべき冬にも暖かな日はある。これは、天が公正で無く、ひそかにひいきをしているのではないだろうか。
と。
「はあ」
弟子たちは特に反論しなかった。
先生が深く静かな目で語っていたから、本当に大切なことを言おうとしている、と思われたからである。
先生はお続けになった。―――
夫貍交禽媾、不避人於白昼、無私也。
それ、貍(り)の交わり、禽の媾(まじわ)ること、白昼に人を避けず、私無きなり。
さて、盛りのついたオス猫とメス猫がよろしくヤっているのを見てみるがよい。雄鶏と雌鶏がつながりあっているのを見てみるがよい。やつらは、真昼間に人目を避けようともしないではないか。ひそかにでは無く、公開してやっているのだ。
それに対して人間はどうか? 人目を避け、覗き見さえ拒んで、やっと交わるのである。
今曰、大公無私。則人耶、則禽耶。
今曰く、「大公無私なり」と。すなわち人なりや、禽なりや。
あの大臣は、自らを「大いに公正にしてひそかごと無し」とおっしゃったというが、それは人間の行為なのか。このニワトリのような行為でしかないのではないか!
さて、宋代のことだそうだが、李京という役人がおり、呉鼎臣という人と一家を挙げて交際していた。呉鼎臣はこのころ侍従をしていて羽振りがよかったが、李京が書状を送ってきて、自分の親交ある人をしかるべき筋にひいきにしていただけるよう紹介できないかと口利きを依頼してきた。呉はよくよく考えてのこととは思うが、その書状を公に暴露し、李京の行いを批判したのであった。
ために李京は官を落とされ、地方の下級官吏に左遷されることとなった。
その出発の直前に、李京の妻が呉の妻に別れのあいさつにきた。呉の妻は夫の行為を愧じて、会おうとしない。すると、李京の妻は無理に主婦の座にすわり、呉家の下男頭を呼び出して、これに語って言うに、
我来既為往還之久、欲求一別。亦為乃公嘗有数帖与吾夫、属私事。恐汝家終以為疑。
我来たるは既に往還の久しきがため、一別を求めんと欲するなり。また、乃公かつて数帖の吾が夫に与うるありて、私事に属すがためなり。汝が家、ついに以て疑いを為さんことを恐る。
「あたしがやってきたのは、もうおつきあいもたいへん長くなるので、ちょっとお別れを言おうと思っただけなのさ。それに、こちらの御主人(呉鼎臣)が、以前に何通かのお手紙をうちの夫(李京)のところに送ってくれていて、これの中身が「秘密のこと」らしいから、でもある。このままでは、こちらのお宅で、「あの家に秘密のことを頼んだ手紙があるから、あの家は朝廷に告げ口するんじゃないか」とお疑いになるんじゃないか、と思ったのよ。
それで返して行こうと思ったのだけど、お会いくださらないんじゃしょうがないわ」
そして、下男頭に
索火焚之而去。
火を索(もと)め、これを焚きて去る。
「火を貸してちょうだい」
と言い、その火に持ってきた何通かの書状を焚きつけて、燃やしてしまってから帰って行った。
―――よいかな?
此事出自婦人、尤不易得。
この事、婦人より出づといえども、尤も得やすからず。
このお話は女性の行動であるが、なかなかできることではない。
凡朋友之負義者、狗彘不食其余矣。
およそ、朋友の義に負(そむ)く者は、狗彘(くてい)もその余を食らわざるなり。
しかしながら、どんな場合でも、朋友との信義にそむくようなやつは、イヌやブタでさえそいつの食べ残しを食べようとはしないのだぞ。
わかったか、おまえたち!
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肝冷斎曰く、
「この龔先生のお話は、当時いっしょに先生の弟子だった周寿昌の「思益堂日札」巻五にも載っているよ。まあでも、友人との信義より情報公開の方がいいことになっているこの国になってしまったのだから、このお話はもう役に立たないであろう。わしが知っていることはすべてこの類なのだ」
と。
ほんとでちゅよ。そんな役に立たない古臭い話、おいらたち若い世代が聞いてもしようがないのさー。