平成24年8月12日(日)  目次へ  前回に戻る          

 

熱中症ですわ。 夜になっても頭きゅんきゅんするので、短くきゅきゅっとまとめまして終わらせます。

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今日も那覇方面で花火を挙げております。夜のお祭りなのさー。

おいらは南国、亜熱帯のコドモ、琉球童子。おいらの館に居候している肝冷斎のおっさんに

「那覇は夜の遅い町ですからね、不夜城というべきではないでちょうか」

と訊ねてみまちた。

すると、肝冷斎のおっさん、最近入手した「球陽」謄写版(←該書は沖縄戦で焼けてほとんど残部が無いといわれるが、いったいどこで手に入れたのか・・・)に目を通しておりましたが、ふい、とメガネをあげて、おいらにいう、

不夜城というのは、いにしえの都市国家の名前なのじゃ。

「漢書」地理志上に曰く、

東莱郡、県十七、不夜。

東莱郡は県十七、不夜にあり。

山東の東莱郡には県が17属しており、郡府は不夜県にある。

と。

その名を尋ぬるに、「斉地記」という書があり、それにいう、

古有日夜出、見於斉東境。故莱子立此城以不夜為名。

いにしえに日の夜出づるあり、斉の東境に見(あら)わる。故に莱子この城を立てて「不夜」を以て名と為せり。

むかし、太陽が夜中に出たことがあった。斉の東の境、東海のほとりでのことである。ために、その地を領する莱侯(五爵の子爵であったので「莱子」という)は、都市国家「不夜城」(夜無しの国)を立てたのである。

灯火や雪、星などによって、周囲全体が夜にも明るい状態になることを「不夜城のようだ」という言い方は唐代に始まったようであり、本朝・江戸末期には「遊郭」の意で使うようになるのだが、つねに上記の「莱国不夜城」の逸話を踏まえて使わないと恥をかきますぞ」

そしてまた書物に視線を戻すと、

「ひっひっひっひっひ・・・」

と笑うのであった。

このおっさんが東京に居られなくなった理由、素直な琉球童子にもよくわかってまいりまちたー。

 

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