頭ががんがんする。コドモにはつらい飲み会が続きまちゅ。
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童子なのに社会人しているからこんなことになるのでちゅ。
そんなおいらに、公家っぽいおっさんが詩を詠んで教えを垂れてくださる。
三十年来朝市塵、 三十年来朝市の塵、
片舟帰去五湖春。 片舟は帰り去る 五湖の春。
平生慚愧無功業。 平生慚愧(ざんき)す功業の無きことを。
合対白鷗終此身。 まさに白鷗に対してこの身を終うべし。
「朝市」は朝廷と市場。名誉・地位と財産を争う世俗の場である。
ただし、いにしえより
小隠隠陵藪、大隠隠市朝。
小隠は陵藪に隠れ、大隠は市朝に隠る。
隠者の中でも小者は丘とか森の中に隠れ暮らすが、ほんとうの大物の隠者は市場や朝廷にまぎれ込んで暮らしているものだ。
とも申しまして、本当はそんなところにこそまことの隠者がいるわけですが・・・。
「五湖」は現代の太湖のことだそうでございます。
いにしえ春秋の時代、越王・勾践の謀臣であった范蠡が、功成った後、官位を棄て、
乗扁舟、浮於江湖、変名易姓適斉。
扁舟に乗じ、江湖に浮かび、名を変え、姓を易えて斉に適(ゆ)く。
小さな舟に乗って、長江から湖に浮かび、姓名を変えて斉の国に去った。
注にいう、この湖が「五湖」である、と。
范蠡はその後、陶朱公と名を換え、斉の国において大いに富を得た(「史記・貨殖列伝」)。
「帰り去る五湖の春」とは、この范蠡の逸事を踏まえ、自分が官職を辞したことを言う。
「白鷗」について。「列子・黄帝篇」にいう、
海上之人有好漚鳥者、毎旦之海上、従漚鳥游、漚鳥之至者百住而不止。
海上の人、漚鳥(おうちょう)を好む者あり、毎旦海上に之(ゆ)きて、漚鳥に従いて游ぶに、漚鳥の至るもの百住(数)にして止まらず。
海のほとりに、カモメが大好きなひとがいた。毎朝、海辺に行ってカモメと遊ぶのだが、カモメがそのまわりに集まってくること、百羽ではきかないほどであった。
ある日、おやじがその人に向かって、
「明日はカモメを幾羽は捕らえてくるのじゃ。わしの慰みものにしてやるゆえ」
と命じた。
その人、
明日之海上、漚鳥舞而不下也。
明日、海上に之くに、漚鳥舞いて下らざるなり。
次の日、海辺に行ったが、カモメはぐるぐると頭上を旋回するばかりで、一羽も下りては来なかった。
無心のときには狎れていたカモメも、人に何らかの隠し心があると寄ってこない、ということでございます。
・・・ことを踏まえつつ、普段のその人のように(利害を離れ)無心で暮らすよ、これからは、と言うのである。
三十年の間、朝廷や市場で降り積もった塵に汚れたわしだが、
このたび小さな舟に乗って五湖の春霞の彼方へ帰り去ることができた。
この間の日々、何の功績も無かったことはお恥ずかしい限りでござるが、
今後は白いカモメと仲良しにして、人生を終えたいと思うのだ。
なるほど。
おいらもそのようにしろ、ということでちゅね。
「おっさん、有益なお話、ありがとう」
とお礼を言うと、おっさんはむすっとしまして、
「わしはおっさんにあらず、三条実隆なり」
と言いましたので、
「うひゃあ、室町の才人、内大臣・逍遥院さまでございましたか」
と畏まってやりまちた。
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藤原(三条)実隆「解印後書懐」(印を解いて後、懐いを書す)(林鵞峰「本朝一人一首」巻七所収)。
三条実隆が官を辞し、内大臣の「印を解」いたのは永正三年(1506)のことだそうでございますから、そのころの詩です。乱世の貴族の心構え、見習わなければなりませぬなあ。とりあえず今日は頭が痛くてしようがないので寝ますけど。