昨日・今日と飲み会で、今日はいよいよ頭ががんがんする。オトナのふりして飲んでる真似してたので、おいらのような童子にはきつかったの。コドモに戻りまちゅ。にょろろろ〜ん。
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今日は「飯嚢酒甕」(はんのうしゅおう)という言葉について教えを受けまちゅ。
「先生、教えてくだちゃい」
―――よく聴くがよいぞ。
習五兵、便乗騎、正可称武夫爾。
五兵を習い、すなわち騎に乗ず、まさに武夫と称すべきのみ。
五つの武器の取り扱いに詳しく、さらには騎馬にも長けているひと。そのような人をこそ、本当に「豪傑」と言うべきである。
「五兵」(五つの武器)につきましては、こちらを参照ください。→こちら
「武夫」は「もののふ」という訳がほんとはいいのでしょうが、ここではとりあえず現代語の「豪傑」という褒め言葉で訳してみます。
「そうでちゅよねー」
―――ところが、
今世士大夫、但不読書、即称武夫児。
今世の士大夫、ただ読書せざるのみにて、即ち「武夫児」と称す。
現代のエリート階級のみなさまは、まじめに書を読まない、そのことだけで「豪傑さん」と呼ぶのだ。
「読書」はもちろんそこらの本を読む、のではなく、経典や史書をはじめ、要するに「古典」を読むことである。
「まったくでちゅよねー」
―――そんなやつは実際は
乃飯嚢酒甕也。
すなわち飯嚢・酒甕なり。
ただのメシを入れる袋、酒を貯めておくカメに過ぎない。
「ほう」
―――無駄飯を食うだけの役立たずじゃ。そのようにはなるまいぞ。
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と、北斉の顏之推が子孫を戒めるために撰した「顏氏家訓」(巻五)に書いてありました。
「飯嚢・酒甕」という言い方は、南北朝時代に流行った言葉づかいらしい。
そのもとは晋の葛洪「抱朴子」(外篇)に後漢の禰衡(でいこう)の語として出てくる次の小気味いい言葉であるという。
荀ケ猶強可与語、過此以往、皆木梗泥偶、似人而無人気、皆酒瓮飯嚢耳。
荀ケなお強いてともに語るべきも、此れを過ぎて以往は、みな木梗・泥偶、人に似て人気(じんき)無く、みな酒瓮・飯嚢なるのみ。
「荀ケのやつはまだしも無理無理ともに語ることができるレベルだが、彼より下のやつらは、どいつもこいつも木彫り人形・泥こね人形のようなもの、人間の形はしているが人間としての精神は無く、みんな酒を流し込むカメ、飯を入れこむ袋、以外の何物でもないぞ」
わっはっはっはー。
おいらも人のこと、これぐらいメタクソに言ってみたいものでちゅ。・・・でも「生きて行く」ために我慢しているの。
なお、このコトバはさらに漢・王充の「論衡」(別通篇)の
腹為飯坑、腸為酒嚢。
腹は飯の坑たり、腸は酒の嚢たり。
(人間なんて)その腹はメシを放り込む穴に過ぎないし、腸は酒を注ぎこむ袋に過ぎないではないか。
というシニカルな言葉に基づくのである。
ということで、「飯嚢酒甕」というのは、「役に立たぬやつ」「無駄飯食らい」みたいな意味になるのでちたー。
漢代だと「酒嚢(さけぶくろ)」なのに、後漢になると「酒瓮」となり、晋の時代になると「酒甕」か、「瓮」と「甕」は同じものでいいのかな? という生活用具の変化もうかがわれておもちろいね。
まあ何にせよ、今日も飯食って酒飲んでうまかったー。