平成24年6月18日(月)  目次へ  前回に戻る

 

じめじめしてまいりました。わしはじめじめ人間なので、じめじめに感応しやすいのです。心にウツ、体にカビが生えてくるんだよ。

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杜甫の詩に

南京犀浦道、  南京犀浦の道、

四月熟黄梅。  四月、黄梅熟す。

湛湛長江去、  湛湛(たんたん)として長江去り、

冥冥細雨来。  冥冥として細雨来たる。

南京の犀浦のあたりでは

四月には梅が黄色く熟れつくす。

(そのころ)水かさを増しながら長江は流れ去り、

暗い空から細かな雨が降り始める。

という。唐の詩人が「南京」というときは、江南の金陵、すなわち明以降のナンキンをいうのではなく、四川の成都のことをいうから、四川では陰暦の四月に梅雨になったことがわかる。

柳宗元の詩には

梅実迎時雨、  梅実は時雨(じう)を迎え、

蒼茫覚晩春。  蒼茫として晩春を覚ゆ。

梅に実がなると雨の季節になりまする

青白く遠くまで雨にかすんで、春は暮れゆくのだ。

とある。「晩春」は旧暦の三月をいう語であるから、この詩では梅雨は三月である。

けだし、

此子厚嶺外之作。

これ子厚、嶺外の作なり。

この作品は、柳宗元(子厚は宗元の字)が南嶺山脈の外、すなわち広東に赴任していたときのものである。

から、広州の梅雨が三月だ、ということなのである。

さらに、宋代に陸佃の撰した字書「埤雅」には、

江湘二浙、四五月間有梅雨、黴敗人衣服。

江・湘・二浙、四五月の間に梅雨あり、人の衣服を黴敗す。

江西、湖南、浙東・浙西の地方(いずれも長江の中下流域である)では、四月から五月にかけて梅雨になり、人びとの衣服にカビを生じせしむるのである。

とあり、長江の中流以下の地域では、五月まで梅雨であることがわかる。

これらのことから、

是知天地時候自有不同如此。

これ、天地時候のおのずから不同あることかくの如きを知る。

天地の地域が違うと、季節にもおのずから違いがあること、このようであることを知ることができる。

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明・朗瑛「七修類稿」巻二十八より。ここ沖縄では台風だが、みなさまのところには明日か明後日行くのかな。

 

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