バテ、ウツと関係あるのか無いのか知らぬが鼻血が出て困るんです。
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元の時代、成宗・鉄穆児(テムール)(在位1295〜1307)は大都(ペキン)城内に天寧寺、萬寿寺の二寺を建立した。
この二寺は、ほかのお寺とちょっと雰囲気が違った。
寺中塑秘密仏、形像醜怪。
寺中に秘密仏の形像醜怪なるを塑(つく)れり。
寺の中には、いわゆる「秘密仏」の塑像が安置されていたのだ。その姿は、エロエロでグロテスクきわまりないものであった。
この像を用いて男女のよろこびを高め、これによって人体内の気の流通を進める秘法が、
演揲児秘密法(えんせつじ・ひみつほう)
である。
この秘法、またの名を「大歓喜秘密禅定」ともいい、「演揲児」(えんせつじ)はモンゴル語で「おおいなるよろこび」ということであるそうな。
これをもたらしたのは左道密教といわれる「紅教ラマ」のチベット僧たちであった。
―――伝え聞くところによれば、現代(←明の時代のことですよ)にも、宮中深くに秘密宮殿があり、その中に同じ「秘密仏」が祀られているそうで、帝が正后をお迎えになるに当たって、それに先だってこの宮殿にお詣りするよしであるが、これはすでに本来の姿を失った習俗に過ぎない。それでも、
亦有深意、然不可聞於世也。
また深意あらんも、然れども世に聞こゆべからざるなり。
やはり何かの象徴的な深い意味があるのであろう。だが、そのことはしもじもには計り知れることではないのである。
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と、明・于慎行の「穀山筆麈」巻十七に書いてあった。
これはどういう秘法だったのでしょうか。
うひうひうひ・・・想像してしまいますよね。想像していると鼻血が・・・。
しかし、于慎行の記述はここまでで、いったいどのような秘法であるか書きのこしてくれていない。
ひどい。
何とかして知りたい。
知りたい。知りたい。子どもなのでいろんなことに興味持つのでちゅー!
・・・と異常なまでの執念で書籍を漁っておりましたら、明の権衡が元末の順帝の時代の混乱を記録した「庚申外史」の中に、その内容をついに見つけた。
――――哈麻(こうま)は、順帝の御寵愛を得た後、こっそりと西域から来た僧で「行運気の術」を行う者をお薦めした。この術は
号演揲児法、使人身之気、或消或脹、或伸或縮、以蠱惑上心。
演揲児法と号し、人身の気をしてあるいは消し、あるいは脹ませ、あるいは伸ばし、あるいは縮ませしめ、以て上の心を蠱惑す。
演揲児法と呼ばれ、人間の体内の気を減少させたり膨張させたり、延伸したり縮小したりする秘法であった。この秘法のもたらす快楽に、帝の心はとろかされてしまったのである。
これより哈麻は帝の左右に侍るようになり、「お師匠」と称されるようになった。
同じころ、資政院の役人であった隴卜もまた西域の僧でこの術を善くする者を帝に推薦した。
僧は、帝に云うた。
「陛下は貴きこと天子であり、その富めること天下の財産はすべておのれのものであるとはいえ、現世においてのことでしかございませぬ。どうぞ我が秘密大喜楽禅定を受けたまい、その窮まり無きの楽しみを味わいたまえ」
と。
帝、大いに喜びたまい、哈麻を「司徒」に任じて、これに四人の女を与え、西域僧の方は「大元国師」に任じて、三人の女を与えた。また、帝の母方のおじ老的沙(ろうてきさ)と自らの弟である巴郎太子(はろうたいし)らも「お師匠」に任ぜられ、彼ら・彼女らは
在帝前、男女裸居、或君臣共被、且為約相譲以室、名曰些郎兀該、華言事事無礙。
帝前にありて男女裸居し、あるいは君臣共被し、かつ約を為してあい譲るに室を以てし、名づけて「些郎兀該」(さろうごつがい)と曰う。華言の「事事に礙(さまた)げ無し」なり。
帝の前で、男も女もすっぱだかで睦みあい、ときには帝もこれに交わられ、お互いの妻を交換しあうことを契あい、これを「サロウゴツガイ」と呼んだのである。これはチャイナの言葉で「何でも融通しあう」という意味であった。
かれらは
用高麗姫為耳目。
高麗姫を用いて耳目と為す。
高麗おんなたちを手先とした。
彼女たちを都に出し、貴族どもの妾や市民の妻などで
択其善悦男事者、媒入宮中。
その悦男のことを善くする者を択ばしめ、宮中に媒入す。
おとことの歓びを尽くす方法を知っている者を探させ、あらゆる方法を用いて宮中に連れてこさせたのである。
そして宮中に巨大な・・・・・・・・・
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ぶしゅう。
子どもなので、この先を読んでいるうちに鼻血が出てしまいまちた。みなさんも子どもだといけないので、ここまでにしておきまちゅー!
・・・ああ、おいらはこんなことも知っているのに、どうしてみんな教えを乞いに来ないのかなー。