金星の太陽面通過。そんなもの見るほど文化的に健康ではございませんので、見ませんでした。今世紀はもう起こらないそうですから、一生に一度、おやじが子どものころに起こって、子どもがじじいのころにやっと起こる、ということなのだそうでございます。
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さて、わしのおやじが十いくつかのころ、おやじのおふくろ(もちろんわしのばばさまだが)の顧夫人は家の北側にある別棟で暮らしておられ、おやじもその棟に寝泊まりしておったのだそうである。
一夕、聞堂中有声如牛。
一夕、堂中に声の牛の如きあるを聞く。
ある晩、その棟の真ん中の部屋で、ウシの鳴くような声が聞こえたのだそうである。
「牛」(ぎゅう)の音はウシの鳴き声から来ているということである。念のため。
この声、
猛似~絶。
猛獅ノして絶せんとす。
激しく猛り、まるで死の前に叫ぶかのようであった。
家のひとびともみな起きだして、灯火を以て部屋に入ってみたが、
一無所見、惟半窗残月而已。
一も見るところ無く、これ半窗の残月あるのみ。
部屋の中には何もおらず、ただ、半分あいた窓から、沈みかけた月が光をさしこんでいるだけであった。
もちろん、何の物音も聞えなかった。
不思議なことである。
ところが、その翌年の春、おやじのおやじ(もちろんわしのおじじさまだが)が肺の病気に罹られた。
その後、五年も病んで亡くなったのである。
あの「牛声」とこのことが何かの関係があったのかどうか。いずれにせよ、おやじも随分読書していたひとだが、晩年になっても
不識何怪。
何の怪なるかを識らず。
一体なんという妖怪であったのか、とんとわからぬ。
と言うておった。
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清・銭泳「履園叢話」巻十六より。わたしどもから見ると同じ「清代」でも、清朝最盛期であった銭泳のおやじの少年時代(18世紀前半の雍正・乾隆初年)とアヘン戦争後にあたる彼自身の晩年(19世紀半ばの道光年間)とでは随分と違う時代だったのでしょうなあ。うちのおやじの子どものころなんて、まだ戦争に勝ってるころですからね。