本日は大銭売ジャイアンツの杉内投手が無安打無失点(九回二死まで完全)の大記録を成し遂げられたという。わしは世界の中央で行われたその試合の結果だけを、遠い「夜の片隅の地」で聞いたに過ぎないのだが・・・
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楊州塩橋の朱几伯という読書人がまだ若かったころのこと、ある晩中秋の月の朗らかなるに誘われて、ひとり西湖のほとりをさまよっていた。
蘇東坡が作ったという蘇堤のあたりから名勝・第三橋にかけて歩く。
遥見橋上有一人向月而拝。
遥かに見るに、橋上に一人ありて月に向かいて拝す。
遠くから見ると、橋の上に一人のひとがいる。このひとは、明月を拝んでいるようだ。
―――月を拝むとはどういう理由かは知れずとも、ゆかしいことじゃ。
と思いながら、朱はだんだん橋に近づき、やがて橋にさしかかって、そのひとから一丈ぐらいのところまで近づいた。
―――お声をおかけしてもいいものか・・・。
すると、相手もこちらに気づいたようである。
拝者驚起愕顧。
拝者、驚き起ちて愕として顧みる。
月を拝んでいたひとは、こちらに気づいて、驚いて体を伸ばし、愕然として振り向いたのであった。
――――!
朱もまた愕然とした。
そのひとは、
披髪女人。面白如粉、唇赤如血。上体裸露、垂乳至腰。
披髪の女人なり。面白きこと粉の如く、唇赤きこと血の如し。上体裸露にして垂乳腰に至る。
ざんばら髪の女だった。顏は、まるで漂白された小麦粉か何かのように真っ白で、その中に血のように真っ赤な口がある。上半身は裸で、巨大な乳が腰まで垂れているのだ。
お互いに驚愕して立ちすくむこと数瞬―――
「それ」は、
急躍入水中。
急に水中に躍入す。
橋の上から突然水中に飛び込んだ。
「ま、待て!」
朱はすぐさま欄干に寄って水中を覗き込んだが、「それ」は水面からその白い白い顏だけを出して、血のように赤い口でたしかに
にやり
と笑った―――と見えただけで、もう次の瞬間には、淡い水紋だけを残して水中に姿を没してしまっていた。
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これは、
―――にしても、さて、その後、いろんな書物に当たってみたが、「あれ」が何と言うモノであったのか、いまだにわからない。
朱几伯が中年の照り上がった額を撫でながら、
―――今となっては、もしもあのとき「あれ」が橋の上で、わしの「待て」という声に応じてそのまま待っていたとしたら、わしは何をどうしようとするつもりでいたのじゃろうなあ、というのが思い出せないのじゃ。・・・ニンゲンとはおかしなもので、本当にそうなったら困るようなことを咄嗟に願うことがあるものらしい。
と自身で教えてくれたことである。
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清・東軒主人「述異記」巻上より。
わしが今日いたのは、この橋のたもとのような、暗いところでしたのじゃ。神宮球場という場末の野球場さ。ちなみに今日は昼間えらいひとの前で調子に乗って恥ずかしいことをしてしまった。反省せねばならぬ。