本日も疲れた感あり。そろそろ次にどこに生まれるかについて考えておくか。
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托生(生まれ変わり)二例。
わしの友だち、金子良に女の子が生まれた。
生まれて数日したころ、隣の家の主婦がやってきて、家人に問うて曰く、
某日官人生女乎。
某日、官人、女を生ずるか。
「何月何日に、ここのだんなさまにむすめさんが生まれたでしょ」
「なぜそんなことを訊くのか」
と問い返すと、隣婦いう、
夢予女云然、頸後必有白髪。
夢に予の女の然(しか)云うなり、頸後に必ずや白髪あらん。
「なにね、夢にうちの死んだムスメが出てきて、そう言ってたのよ。首筋に白い髪が生えているでしょ」
もともと変わったことを言う婦人であったから、家人叱りつけて追い返した。
実際、赤ん坊の首筋に白い髪など無かった。
―――ところが、
三月頸後果見白髪、死。
三月にして頸後に果たして白髪を見、死せり。
生後三か月ほどしたとき、頸筋に白い髪が生えてきて、その子は死んでしまった。
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軍人の朱卿というもの、こちらも子が生まれて三日目に、ひとりの僧がやってきた。
僧云う、
君家三日前生子乎。
君が家、三日前に子を生ぜしや。
「おたくさま、三日前にお子様が生まれたのではございませんか」
主人、
「そのとおりですが・・・」
と答えると、僧はにこにこと、
是吾師転世。
これ、吾が師の転世なり。
「ああ、それはわたしのお師匠さまの生まれ変わりです」
その証拠に、左手に加持祈祷をしたために出来たやけどの痕があるはずだというので、子細に見てみるとそのとおりであった。
然亦不久死。
しかるに、また久しからずして死せり。
しかし、この子も、やはりしばらくして死んでしまった。
二例とも托生した子どもが間もなく死んでしまったのは、おそらく
為説破故耳。
説破の故なるのみ。
ばらされてしまったためであろう。
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明・朗瑛「七修類稿」巻四十八より。ばらされるとまずいらしいので、わしはどこに生まれるか、わかっていても言わないでおきますね。まあ、でも言ってもいいか。なにしろあそこですからね・・・。