明日も休みまーちゅ。
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舌在口中、如鳥在籠中。
舌は口中にあり、鳥の籠中にあるが如し。
舌が口の中にある間は、それはまるで鳥が籠の中にいるようなもの。
ところが、ひとたび籠を出ますと、
鳥従此樹飛彼樹、言従此人飛彼人。故曰口為飛門。士君子不可不慎言也。
鳥のこの樹より彼の樹に飛び、言のこの人より彼の人に飛ぶ。故に曰く、口は飛門たり、と。士君子は言を慎まざるべからず。
鳥はこちらの木からあちらの木へと飛びまわる。ことばも、一度口の中から出ますと、この人にこういったことがいつの間にかあちらに人へと伝わっているもの。
だから「口は飛びゆくものの出口なり」と申します。立派なお方はことばに注意なされて当然ですぞ。
まったくでございます。
この箴言はいったい誰のことばかといいますに、
此語得之西海異人利馬竇。
この語、これを西海の異人・利馬竇(りまとう)に得たり。
このコトバは、西洋の異常人・利馬竇氏の教えであるという。
利馬竇(りまとう)は御存じのとおり、明の時代に来訪していた宣教師マテオ=リッチのこと。
懸之座右、以代金銘。
これを座右に懸け、以て金銘に代うべし。
このことばを書きつけて、いつも座る場所の右側に懸けておくといい。本当は座の右には銅器を置いて、それに旨とすべきコトバを刻んで「座右の銘」とするわけですが、その代わりには十分なろう。
マテオ=リッチの同時代のひとで、太宰の官にまで昇った張慎言が常々言うていたことばも棄てがたい。
寡言之味、饒於多、無言之味、長於寡。
寡言の味は多よりも饒(さか)んなれども、無言の味は寡よりも長ず。
コトバすくなでいることの味わいは、よくしゃべるよりもずっと豊饒であるが、一言も発しないでいることの味わいは、コトバすくなでいることよりもさらによい。
わたくし思いますに、このコトバは、
語愈浅而意愈深。
語いよいよ浅くして意はいよいよ深し。
ことばづかいはすごく簡単なのだが、その意義は深い。
と。
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以上、清の金埴「不下帯編」巻二より。
みなさん、マテオ=リッチは大好きでしょう。世界史の教科書にも載っているし、クイズ番組でも紹介される「有名人」ですからね。そんな有名人のお言葉を聞けて、よかったですね。
この文章を書いた金埴は字・苑孫、鰥鰥子と号した。多くの文人を輩出した浙江・山陰のひと、康熙二年(1663)の生まれ、乾隆五年(1740)に卒したという。どういう人生を送ったひとであるかはあまりはっきりしないのですが、もともと浙江の名高い読書人一族のひとで、おやじが清の初期に山東で官にあった時代に生まれて、そこで少年時代を過ごしたらしく、浙江のほか山東のことについての記述が多い(そうです)。漁洋山人・王士などとも交友があったという。
ちなみに「不下帯」というのは・・・(以下、宿題)