平成24年4月8日(日)  目次へ  前回に戻る

 

花は今日が見盛りかな。さくらばなちりかひくもれ、と、もう何年も思い続けているが、今年もまた一年年老いた。花の盛りにあはましものを。

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孔子が楚の国に行ったときのことじゃ。

季節は春の終わり、うらうらとよい天気。

孔子たちの一行を見かけて、漁師が舟を寄せてきた。漁師は、

献魚甚強。

魚を献ずること、はなはだ強(し)う。

「魚を献上したい」といい、それを強制しようとするのである。

孔子はうやうやしく礼をし、しかし

「その国の君主にも許されていないのに、理由も無くその地の産物をお受けするわけにはまいりませぬ」

とお断り申し上げた。

すると、漁師はかぶりを振って言うた。

天暑遠市、売之不售。思欲棄之、不若献之君子。

天暑く市遠く、これを売らんとすれど售(う)れず。思うに、これを棄てんと欲するは、これを君子に献ずるに若(し)かず、と。

まあ考えてくだされや、孔子さま。

今日はかような暖かい日じゃ。そして、ここから城内の市場までは遠い。このあたりで売りさばこうとしても買うてくれるひとはおりますまい。この魚は棄ててしまうしかない、とわしは思うておりました。そこへあなたさま一行が通りかかられたのじゃ。

わしは、棄ててしまうぐらいなら、ご立派な方々に差し上げた方がまだしもこの世の役に立ちましょう、と思いましたのじゃ。

「おお」

この言を聞いて、

孔子再拝受。

孔子再拝して受く。

孔子は、二度拝礼するという厚い礼を行って、魚を押し戴いたのであった。

そして、弟子たちに魚をきれいに水洗いさせ、これを台上に置いて、聖なるものを拝礼する「祭」を執り行った。

弟子の一人が問うた。

夫人将棄之、今吾子将祭之何也。

夫(か)のひと、まさにこれを棄てんとするに、今、吾が子のまさにこれを祭らんとするは何ぞや。

「さっきのひとはこいつを棄てようとしていましたな。ところが今度は、我が先生はこいつを有り難がって「祭」を執り行われる。どういうことなのですかな?」

孔子はおっしゃった。

吾聞之。務施而不腐余財者聖人也。今受聖人之賜、可無祭乎。

吾、これを聞けり。施しに務めて余財を腐(ふ)せざる者は聖人なり。今、聖人の賜(たまもの)を受く、祭すること無かるべけんや。

「わしはこんな賢者の言葉を聞いたことがあるぞ。

自分で使い余ったものは人に施しをして、財物を余らせて腐らせてしまうようなことの無いひとは、それだけで聖なる人である。

(さっきの漁師のおやじは聖なる人じゃ。)今、わしらは聖なる人からこの魚をいただいたのである。「祭」を行って貴ばないでいられるはずがないであろう」

孔子は弟子たちにも魚を拝ませ、それから料理させた。

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「説苑」巻五より。

煮魚食いたいですね。同じ腐りかけた魚でも、要らない人にとっては棄てるものとなり、それを必要とする人にとっては大切なものになるのです。・・・ということなのですが、このお話を普通に読むと、「孔子さまは御都合主義者では?」という気がしてならなくなってまいりますね(もちろん、これは単なる「伝説」で、歴史的実在としての魯の賢者・孔丘の真の姿とはかけはなれたエピソードだとは思いますが)。

―――そうか、義として受け取ってはならないものでも、うまくリクツをつければ受け取ってもいいのか・・・と、思っちゃうひともいるかもよ。

本日は、蒲田で松竹撮影所跡地を訪れ、また横浜で、我が青春の町?・福富町から伊勢山皇太神宮→神奈川奉行所跡→掃部山公園まで彷徨うて来た。花を見上げているひとたちは、同じ花を見ながらそれぞれ違う思いを懐いているのでしょうなあ。わしはおのれの老いばかりが思われたが。

 

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