本日、みんな残業しているのに、わしは定時ちょっと過ぎに上司の目を掠めて、逃げるように退社してしまいました。
明日お小言を頂戴するかも知れませんね。そこで、この場を借りて弁明しておきます。
―――よろしいかな、会社から早く帰りたい、というのは人間の本性に基づくことなのでございますぞ。人間の本性に反することをすると、上司に信用されなくなりますから、わしは後で怒られるのも覚悟で、上司の信用を得るためにわざわざ早めに退社したのです。なにゆえとならば、いにしえの賢者の書に以下のように記されておる・・・・
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春秋のころ、魏の将軍・楽羊は、命を受けて中山(ちゅうざん)の国都を攻囲したのであった。
このとき、楽羊の息子が中山に学びに来ており、中山国の君はその息子を捕らえ、縛り上げて城壁の上から吊るし、攻囲軍に示した。
楽羊はしかし息子の姿を見ても、
君臣之義、不得以子為私。
君臣の義、子を以て私を為すを得ず。
主君からの御命令で働いているのだ、息子のことで自分勝手にすることができようか。
と、攻撃の手を緩めることはなかった。
中山の君はそこで、
烹其子。
その子を烹る。
その息子を煮殺させたのであった。
そして、息子の首と、息子を煮こんだ肉スープの入った鼎(かなえ)を攻囲軍に届けさせた。(←これぞチュウゴク文化の醍醐味、というような行為ですね)
楽羊はその首を見て、
是吾子。
これ、吾が子なり。
「たしかにこれはわしの息子でござる」
と言い、
為使者跪而啜三杯。
使者のために跪きて三杯を啜(すす)る。
(相手は国君の使者でるので、敬意を表し)使者に対してひざまずいて、スープを押しいただき、三杯すすり飲んだのであった。
・・・ちなみに、同じ話を伝える別のテキストでは「一杯」となっているそうですので、もしかしたら一杯飲んだだけだったかも知れません。
使者は城中に戻ってこのことを報告した。
中山国の君は、
是伏約死節者也。不可忍也。
これ、伏して死節を約する者なり、忍ぶべからざるなり。
「そのひとは、どんなことがあっても、死んでも主君の命令を守るということを誓ったひとだな。そうでなければどうしてそんなことを我慢することができようか。
これ以上抵抗しても無駄であろう」
と、ただちに降伏することに決したのであった。かくして、魏は念願の中山の地を手に入れた次第―――。
しかしながら、楽羊の主君である魏の文侯は、
自此之後、日以不信。
これよりの後、日に以て信ぜず。
これ以降、楽羊のことを不信の目を以て見るようになった。
「考えてもみよ、目的のためなら我が子のスープを飲むやつじゃぞ・・・」
と人間として疑いの目を向けるようになったのである。
・・・・さてさて、もうひとつ、お話があります。
魯の大夫・孟孫が猟に出かけまして、麑(げい。のろじか)を捕らえたのでありました。
孟孫は部下の秦西巴に命じてこの麑を先に家に持って帰らせ、
「わしらが帰るまでにそれを料理して待っておれ」
と命じたのであった。
「あい」
と引き受けて麑を引きながら帰ってきた秦西巴であったが、その後ろから一定の距離を置いて、ずうっと従いてくる大きな麑がある。
「な、なんだ、おまえは」
と追い払おうとしても一度は身を隠すが、しばらくするとまた現れるのである。
従者がいうには、
「あれはこの麑の母です。このまま都までついてくるつもりでしょう」
と。
秦西巴は「う〜ん」と考えこんだ末、ついに捕らえていた麑を放し、母鹿と一緒に山に帰らせてしまったのであった。
さて、孟孫が帰ってまいりまして、
「あの麑はどうした?」
と問うた。
秦西巴答えて曰く、
其母随而嗁、臣誠弗忍、竊縦而予之。
その母、随いて嗁(な)く、臣まことに忍びず、ひそかに縦(ほしい)ままにしてこれに予(あた)う。
「その・・・麑の母がついてきまして、啼くのでございます。・・・わたしはそれに耐えきれなくなりまして、黙って麑を放し、その母に返してやったのでございます・・・」
「なんだと! あれほど先に帰って料理しておけ、と命じたではないか」
「そ、そうなんですけど、その・・・」
「おまえのような言ったことも出来ぬやつは、出てけー!」
孟孫は怒り、秦西巴を追い出してしまった。
・・・・一年ほどしまして・・・・・
孟孫は従者たちに、秦西巴を探しだすように命じた。秦西巴は都のはずれで土地を借りて耕しており、すぐに見つかった。
すると、孟孫は秦西巴に自分の子どもの守役を依頼したのである。
近臣が、
「秦西巴はあなたさまに罪を獲て追放されたおとこです。主君に黙ってあのようなことを仕出かした人間をどうして信用できますか」
と問うと、孟孫は
夫一麑而不忍、又何況於人乎。
それ、一麑にして忍びず、また何ぞいわんや人においてをや。
「ふん、のろじか一頭がかわいそうで仕方なかったおとこじゃぞ。まして人間にはもっと情けを注いでくれるであろうよ」
と答えたということである。
―――結論。
或有功而見疑、或有罪而益信、何也。
あるいは功ありて疑われ、あるいは罪ありて益々信じらる、何ぞや。
楽羊は功績があったのに疑われるようになり、秦西巴は罪を犯したのにより信用されるようになった。どうしてか。
則、有功者離恩義、有罪者不敢失仁心也。
すなわち、功ある者は恩義を離れしも、罪ある者はあえて仁心を失わざればなり。
というのも、功績のあった方のひとは人間の恩と義理からかけ離れてしまったからであり、罪を犯した方の人はそれでもやさしい心を忘れていなかったからである。
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ちゃんちゃん。
まあ、わしの弁解が通用するような相手ではございますまいがね。「淮南子」巻十八より。