昼間は暖かかったですなあ。
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今日は昼間、天気がよかったのでふらふらと出かけておりました。
人生最好是閑遊、 人生最も好(よ)きはこれ閑遊、
毎把青銭掛杖頭。 つねに青銭を把りて杖頭に掛く。
ひとの暮らしの中で、何より楽しいぶらぶら旅、
いつも銅銭をつかんでは、杖の先にぶらさげておく。
・・・晋の阮脩は
性簡任不修人事。
性簡任にして人事を修めず。
性格がすかすかでいい加減で、社会人としてなすべきことをしなかった。
そして、
常歩行以百銭掛杖頭、至酒店便独酣暢。雖当世富貴而不肯顧。
常に歩行するに百銭を以て杖頭に掛け、酒店に至ればすなわちひとり酣暢す。当世の富貴といえどもあえて顧みず。
いつもいつもふらふら、あてどなく歩いていく。杖のあたまに銭百枚が引っ掛けてあって、酒場を見つけるとそこに入り込んで一人でいい気持ちになるのである。その時代の資産家や権力者が声をかけたとて相手にすることがなかった。
という。(「晋書・阮脩伝」)
どんなところへ行くのがよいのであろうか。
楓葉疏鐘山寺晩、 楓葉疏鐘、山寺の晩、
菊花流水野村秋。 菊花流水、野村の秋。
カエデの葉を通して遠く鐘の音の聞こえてくる山寺の夕暮とか、
菊の花びら水に流れる田舎の里の秋のころとか。
心如籠外初飛鳥、 心は籠外に初めて飛ぶ鳥のごとく、
身似江中不繋舟。 身は江中の繋がれざるの舟に似たり。
心は籠の外に出されて、はじめて空を飛ぶ鳥のようにウキウキ、
身は川の真ん中、どこにもつながれていない舟のようにフラフラ。
真楽従来随処在、 真楽は従来より随処にあり、
那須騎鶴到揚州。 なんぞもちいん、鶴に騎りて揚州に到るを。
ほんとうの楽しみはどんなときにも、どんなところにもあるのだ、
どうして鶴に乗って揚州に行こうなどと思わねばならんのだね。
・・・「鶴に騎(の)りて揚州に到る」につきまして。
殷芸(いん・うん)の「小説」(「殷芸小説」)にいう、
何人かの相客が、おのおの志すところを言いあった。
ある人は言う、
為揚州刺史。
揚州刺史たらん。
「おれは繁華で有名な揚州の知事になりたいのう」
ある人は言う、
多貨材。
貨材多からん。
「財産が多いのがいいのう」
ある人は言う、
騎鶴上昇。
鶴に騎りて上昇せん。
「わしは、鶴に乗って空を飛びたいのう」
最後の一人が言うた、
腰纏十万貫、騎鶴上揚州、欲兼三者。
腰に十万貫を纏い、鶴に騎りて揚州に上りて、三者を兼ねんと欲す。
「わはは、おれはその三つをすべてやりたいのう、腰に十万貫の銭をぐるぐる巻きにぶらさげて、鶴に乗って空を飛び、揚州に行きたいのじゃ」
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詩は安積艮斎「秋晩遊王子村」(秋晩に王子村に遊ぶ)。秋の詩ですけどね。まあ気分としては、春先のうららかなるときのそぞろ歩きでも宜しかろう。
ちなみに今日また変な本買ってきてしまいました。万国貨幣研究会編「新版・東洋古銭価格図譜」(初版・昭和41年、再版・昭和43年 万国貨幣洋行発行)であります。ハマの古書店で2,000円で出ていたので。本朝、支那、琉球、朝鮮、安南の貨幣を年代順に558種並べて、その読み方、実物の複写(←これはすばらしい)、発行年、さらにだいたいの値段が書いてある。これによれば、晋のころ、阮脩が杖の頭にぶらさげていた穴あき銭(穴あきでなければぶらさげられぬ)は前漢の半両銭、五銖銭、穿上横文五銖銭か、新の王莽が発行した五十大泉または貨泉のいずれかであろう、ということになります。五十大泉を除けばだいたい良貨600円、悪貨300円ぐらいで買えるらしい。(昭和40年ごろのことですよ)
それにしても今日は3月11日。この一年。まあよく生きていた・・・気もするんですが、心筋が痛いので実はもう来年は無いのかも。その前に、何かでかいことしたいねー。