平成24年2月15日(水)  目次へ  前回に戻る

 

昨日の続きです。「淮南子」人間訓より、今日は「増やしたら減った」お話。

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昨日の「邲の戦い」で楚の荘王にぼろ負けしたのが晋の景公。その後を継いで立ったのが、癘公・州蒲でございます。

癘公は楚の政変などにも乗じて、

南伐楚、東伐斉、西伐秦、北伐燕、兵横行天下而無所綣、威服四方而無所詘。

南のかた楚を伐ち、東の方斉を伐ち、西のかた秦を伐ち、北のかた燕を伐ち、兵は天下に横行して綣むところ無く、四方を威服して詘(かが)むところ無し。

南の楚を討伐し、東の斉を討伐し、西の斉を討伐し、北の燕を討伐して、その軍勢は天下をわがもの顔に往来して負けたことなく、四方をその威厳で服せしめて屈するところが無かった。

特に、北進してくる楚を退けた鄢陵(えんりょう)の戦い(紀元前575年)が有名でございます。

癘公はこの戦いの後、嘉陵の地に諸侯を集めて会盟を行い、周王の代理者として天下を指導する覇者の資格を得た。

このとき、公は

気充志驕。

気充ち志驕る。

気力は充実し、やる気まんまんであった。

癘公は晋国内の専制を強めんとして、もともと同族で歴代の重臣である欒氏、郤氏、中行氏の力を削ぐべく、側近の夷陽五、長魚矯らに命じてクーデタを起こし、郤リ(げきき)らを誅殺せしめ、さらに欒書(らんしょ)、中行偃(ちゅうこうえん)を捕らえた。(その後、国内の動揺と国際社会からの批判を抑えるため、欒書と中行偃を釈放)

戮殺大臣、親近導諛。

大臣を戮殺し、親近導諛す。

国家の重臣を殺戮し、側近の阿諛追従に乗ったのである。

公はこうして強権を掌握したかに見えた。

意気揚々として、

明年出遊匠驪氏。

明年、匠驪氏に出游す。

その翌年(前574)、お気に入りの匠驪氏の邸宅におしのびで出かけた。

匠驪氏の女と通ずるためであったという。

この時を逃さず、

欒書、中行偃劫而幽之。

欒書、中行偃、劫してこれを幽す。

欒書と中行偃は、私兵を率いて公を誘拐し、幽閉してしまったのであった。

本来、国君が臣下に幽閉されたならば、ほかの諸侯らが封建体制を護持するために救出してやるのが春秋期の正義である。

しかし、癘公を救うひとはいなかった。

諸侯莫之救、百姓莫之哀、三月而死。

諸侯これを救うなく、百姓これを哀れむなく、三月にして死す。

諸侯は誰も救おうとしなかったし、人民たちも誰も同情しなかった。その状況を確認した欒書らによって、公は三か月後、暗殺されてしまった。

この事件は、「左氏伝」に詳しうございます。また、その後、欒書と中行偃は、跡継ぎとして、癘公の四代前の襄公(有名な文公の子。在位前627〜621)の玄孫に当たり、周の都・洛陽に遊学していたまだ十四歳の周子を迎えて即位させまして、これが、晋の中興の名君・悼公なのでございます、・・・といったお話は、またいずれかの日に。(もうすぐ今の会社を○めさせられるらしいので、そうしたら・・・)

さて。

戦さに勝ち領土を攻め取りその名は高まるのは、誰もがそうありたいと願う状態でございましょう。しかるに、最後には身は亡び、国は乗っ取られる。

此所謂益之而損者也。

これ、いわゆるこれを益して損するものなり。

これが、いわゆる「増やすと減る」ということである。

ああ。

ひとびとは誰でも、利益になることを利益だと思い、不利益になることを不利益だと思うものでございましょう。しかし、

唯聖人知病之為利、知利之為病也。

ただ聖人のみ、病の利たるを知り、利の病たるを知るなり。

ただ、聖なる知恵を持つひとだけは、不利益と思われるものが実は利益であり、利益と思われるものが実は不利益だ、ということを御存じなのでございます。

古来より伝わる金言がございます。

再実之木根必傷、掘蔵之家必有殃。

再実の木根は必ず傷み、掘蔵の家は必ず殃(わざわい)あり。

二度も実をつけた果樹の根は、必ずいたんでしまうものじゃ。他人の埋蔵品をひそかに掘り出して自分の財産にした者の家には、必ず悪いことが起こるものじゃ。

利益を絞りすぎてはならないこと、楽して儲けたら必ずその報いを受けねばならないこと、を言うたことばである。

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かような事例は歴史書に次々と現れてきりがないほどでありますが、「損」「益」とは「易」の卦の名でもございます。

「易」は、卦辞(64の卦の意味についての解説)、爻辞(各卦に6づつある爻のそれぞれの意味についての解説)のもとになった資料もいろいろあるらしく、また、古い注釈である「彖伝」「象伝」にも連絡はなく、したがって各「卦」の特徴を一言で表すのはなかなか難しいのでございますが、ここは「彖伝」の言葉を引かせていただきまして、「損」と「益」との意義を見るに、

損卦彖伝にいう、

損、損下益上、其道上行。損而有孚元吉・・・。・・・損益盈虚与時偕行。

「損」は、下に損して上に益す、その道は上行なり。損して孚(まこと)あるは元(おお)いに吉・・・。・・・損益盈虚は時とともに偕行せん。

「損する」というのは、この卦の形が、泰という卦の形(下から○○○●●●と爻が並ぶ卦)の、下にある陽○を一つ減らして上に上げ、○○●●●○となったものであることから、下を減らして上を増やすということである。これは、だんだんと上にあがっていく状態である。下にいる人民たちの財産を上にある政府がとりあげる。しかし、そこに誠実さがあり、それが人民のためになるものであれば、結論として大いによいこととなるであろう。・・・・・・損すること、益すること、あるいは満ち、あるいは欠ける、(これは月の動きと同様であり)時勢の動きに反することではない。

また、益卦彖伝にはいう、

益、損上益下、民説無疆。自上下下其道大光。・・・天施地生其益無方、凡益之道与時偕行。

「益」は、上に損して下に益す、民説(よろこ)びて疆(さかい)無し。上より下に下さば、その道は大いに光あり。・・・天施し、地生じるは、その益に方無く、およそ益の道は時とともに偕行せん。

「益する」というのは、この卦の形が、損の卦とは逆に、否という卦の形(下から●●●○○○)の、上にある陽○を一つ減らして下におろし、○●●●○○となったものであることから、上を減らして下に増やすということである。そうすれば、人民は大喜びして、その範囲は限られることがないであろう。お上からしもじもに下すのだから、その状態はたいへん名誉あるものである。・・・天が太陽の光を注ぎ、地が万物を生み出す力は、その利益に限りがない。益することは、(これは太陽の動きと同様である)時勢の動きに反することではない。

ああ、ありがたや。

なにごとのおわしますかは知らねども、難しいところさえもありがたいのでございます。理解できればもっとありがたいのでございましょう、

孔子読易至損益、未嘗不憤然而嘆。曰、益損者、其王者之事与。

孔子、易を読みて損・益に至れば、いまだかつて憤然として嘆かざることあらず。曰く、「益・損なるものは、それ王者の事か」と。

聖人・孔子は「易」を読み、半ばを過ぎたところにある「損」「益」の卦のところまで来ますと、いつもいつも興奮して、「ああ」と声をあげて言うのであった。

「益のこと、損のこと。これは、世界に平和と正義をもたらすまことの「王者」のなすべきことではないか」

と。

孔子さまも興奮なさったということでございます。

 

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