平成24年1月17日(火)  目次へ  前回に戻る

 

今宵の御伽話は、魏晋のころのことでございます。

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阮侃、字は徳如なるもの、ある晩、厠所に行ったとき・・・

うひゃー!!!!

出、出ました! 見た! 見たんです!

何を? すなわち、

見一鬼、長丈余。

一鬼を見たり、長さ丈余。

一体の「鬼」を見た。背の丈、2.4m以上。

「鬼」をどう訳せばいいのかはいつも悩みます。ニホンの「オニ」と違うものであることは確かです。近代になればほとんど「幽霊」と訳せばよくなるのですが、古代においては「精霊」「妖怪」と訳すべき場合が多くなる。

ここでは、以下「ばけもの」と訳してみます。

その「ばけもの」は

色黒而眼大、著白単衣、平上幘。

色黒くして眼大、白単衣と平上幘を著(き)る。

見た目はまっくろ、目が巨大。白い普段着に上の端を平にしたかぶりものを着けていた。

平上幘は当時は、武官の頭巾であった。

去之咫尺。

これを去ること咫尺(しせき)なり。

そんなのが目の前にいたのである。

「咫」は八寸、「尺」は十寸をいう。一寸は時代により変化ありますが、この時代は2.4センチメートル。

そんなのを目の前にしても、阮徳如は

心安気定。

心やすく、気定まる。

あわてず、騒がなかった。

かえって笑ってこれに向かっていう、

人言鬼可憎。果然。

人言うに、「鬼は憎むべし」と。果たして然り。

「一般に「ばけものはイヤな姿をしている」と言うが、本当だったなあ」

と。

「憎むべし」というのは、われわれの語感では「キモメン」という言葉に近いであろうか。

それを聞いて、

鬼赧而退。

鬼、赧(たん)して退けり。

ばけものは、顔を赤らめて消え去ってしまった。

「赧」は恥ずかしさに顔を赤らめることをいう。

阮徳如は後に河内の太守にまでなったひとである。

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南朝宋・劉義慶「幽明録」より。

なんともシャイで愛すべき「鬼」ではありますまいか。

さて、聴くがよい。「中庸」にはこのように言われてある。

・・・魯の哀公が孔先生に「まつりごと」について問われた。

孔先生は答えて言われた。

「さよう・・・、天下に共通する徳目は、「知」(知恵)「仁」(思いやり)「勇」(勇気)の三種類でございましょう。ところで、

好学近乎知、力行近乎仁、知恥近乎勇。

学を好むは知に近く、力(つと)めて行うは仁に近く、恥を知るは勇に近し。

学問が好きなのは、本当の「知恵」とはいえませんが、これに近い。無理をしてでもやり通すのは、本当の「思いやり」とはいえませんが、これに近い。恥ずかしいことを認識できるのは、本当の「勇気」とはいえませんが、これに近い。

知斯三者、則知所以修身。知所以修身則知所以治人。知所以治人則知所以治天下国家矣。

この三者を知ればすなわち身を修むる所以を知るなり。身を修むる所以を知るはすなわち人を治むる所以を知るなり。人を治むる所以を知るはすなわち天下国家を治むる所以を知るなり。

好学・力行・知恥の三種類の行為ができるようになるのは、自分をコントロールする方法を知るということでございます。

自分をコントロールする方法を知る、ということは、人をコントロールする方法を知るということでございます。

人をコントロールする方法を知る、ということは、天下・国家をコントロールする方法を知る、ということでございます。

それが「まつりごと」というものでござる」

と。

阮徳如に「憎むべし」と笑われて、顔あからめて去って行った「鬼」は、「恥を知っていた」のであり、人を治め天下を治める所以を知るまであと一歩、だったのです。河内太守なんかになってどうせ自分に自信ぎらぎらだったであろう阮徳如などと比べて、なんと立派なことでありましょうか。あなたがたもツメのアカでも煎じてくれればなあ・・・。

 

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