平成24年1月18日(水)  目次へ  前回に戻る

 

また弱ってきました。人生の指針と仰ぐ宋の安楽窩主人・邵雍(康節と諡す)の「伊川撃壌集」を読むことにする。

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どれどれ・・・

目時然後視、  目は時にしてしかる後に視、

耳時然後聴。  耳は時にしてしかる後に聴く。

口時然後言、  口は時にしてしかる後に言い、

身時然後行。  身は時にしてしかる後に行う。

 眼があるとしても、そうすべき時になってから、見ることにせよ。

 耳があるとしても、そうすべき時になってから、聴くことにせよ。

 口があるとしても、そうすべき時になってから、言うことにせよ。

 身体があるとしても、そうすべき時になってから、行動しなされ。

前不見厚禄、  前に厚禄を見ず、

後不見重兵。  後に重兵を見ず。

惟其義所在、  ただそれ、義のあるところのみ、

安知利与名。  いずくんぞ知らん、利と名とを。

 高い給与を求めて行くわけではない。

 恐ろしい武器から逃れようと行くわけではない。

 ただ、「そうすべきだ」という為すべきことをするだけなのだ。

 利益とも名誉とも関係のないことじゃ。  

これは「四者吟」(四つのモノのうた)。前半と後半のつながりが難しいですね。つながっていないんじゃないかなあ・・・。

壮歳苦奔馳、  壮歳苦しみて奔馳し、

随分受官職。  分に随いて官職を受く。

所得唯錙銖、  得るところただ錙銖のみ、

所喪無紀極。  喪うところ紀極無し。

 わかいころ、苦しい思いをしながら走りまわり、

 ようやくそれ相応の官職をいただく。―――そうしたところで、

 得られるものはほんの少しの金銭であり、

 失うものは極まりない。 

今日度一朝、  今日一朝を度し、

明日過一夕。  明日一夕を過ごす。

不免如路人、  免れず、路人の如く、

区区被労役。  区区として労役せらることを。

 今日はなんとかひと朝を迎え、

 明日はなんとかひと夕を過ごす。

 どうしたって、旅人と同じなのだ。

 ちまちまと疲れさせられて生きていくしかないのだ。 

これは「偶得吟」(ふと思いついたうた)。作者はずっと民間人で、仕官したことがないはず(民間人でありながら「康節」という諡名を朝廷から賜っており、そのことが破格とされたほどである)。なのに仕官の苦しみを言っているので、これは自分の反省ではなく人への教訓なのであろう。

ああ、世の中はイヤなことばかりだなあ。

という気もしてまいります。

かと思えば、

会有四不赴、  会に四の赴かざる有り、(公会、生会、広会、醵会)

時有四不出。  時に四の出でざる有り。(大寒、大暑、大風、大雨)

 わしは、公開のパーティー、誕生日のパーティー、広くひとを募って行われるパーティー、拠出金を募るためのパーティーの四種の会合には出ません。

 また、ひどく寒いころ、ひどく暑いころ、ひどく風の吹く日、ひどく雨の降る日には出かけません。

無貴亦無賤、  貴も無くまた賤も無く、

無固亦無必。  固も無くまた必も無し。

 相手の身分が高かろうが、低かろうがそうしております。

 固執してそうだというのでなく、絶対にそうしようとしているのでなく、自然とそうなっているのです。

それ以外の日は、

里閈閑過従、  里閈(り・かん)閑にして過従し、

身安心自逸。  身安くして心おのずから逸なり。

如此三十年、  かくの如く三十年、

幸逢太平日。  幸いに逢う、太平の日。

横丁の門をひまなときにうろうろと出たり入ったり。

何にも縛られないから身体は楽だし、心はおのずと自由。

こんな生活をもう三十年も続けておりますよ(先生はこのころ六十歳過ぎ)。

幸いなことに太平の世に生まれ合わせましたので。  

と人生うはうはになったりする。これは「四事吟」(四つの事項のうた)。

前半生は苦労したらしいのですが、「安楽窩」という居所の名からみて、「うはは、わしの人生は楽チンだなあ」というのがこの人の本来の思想だと思われる。。

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眠くなってきたのでもう読むのやめますが、こんなのばかりがいいっぱいあるんです。

安楽窩主人は生涯仕官せず、壮年以降洛陽に住んで司馬温公や程明道・伊川兄弟らと交わった文人である。北宋五先生の一人として、朱子学の先駆者に位置付けられはするのですが、きわめて特異な思想家であります。

易理を窮めて「先天易説」を唱えた前近代的自然科学者。

道士の服を着、小さな車に乗って洛陽の貴顕の家を訪れ、身の上相談を行う世間師にして、時に予言さえ行う魔術師。

平易な詩によって天地の間の哲理を説いた詩人哲学者。

そしてまたバリバリの旧法党のイデオローグ。

いつも名利に恬淡たる好好爺を思わせる言行を纏いながらも、なかなか一筋縄ではまいらぬじじいでございます。

今も彼の「先天易説」(梅花易)には、香港・福建・台湾には商売人を中心に信奉者が多いんらしいんでございます。

 

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