平成24年1月19日(木)  目次へ  前回に戻る

 

腰へ来ましたー! 単なる腰痛かぎっくりまで発展して歩けなくなるかは明日の朝の様子を見てみねばなりませぬな。

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「歴代神仙通鑑」第二節。

前節では「地皇氏」が人民を治めたところまで行きました。第二節には、

黄神氏存神煉己、  黄神氏は神を存して己を煉り、

泰壹君守一修真。  泰壹君は一を守りて真を修む。

 黄神氏はその精神を手放さず、おのれを熱し浄め、

 泰一君は一番大切なものを守り抜いて、真実を得た。

ことが書いてあるんです。

「どういうこっちゃ? 説明せんかい!」

などと言ってくれるひとはまだよい。どうせみなさん「ああそうですか、それはそれは」と関心も無く、いそいそと韓流ドラマ見に帰ったり、不○したり、グルメ雑誌で紹介されたお店に行ったり、婚活して流れに乗っている自分を確認したり、することでございましょう。

はいはい。ではさようなら。

あとは一人ごと言います。

第二節にどんなことが書いてあるかといいますと、次のようなことが書いてある。

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北洲に郁単越周御国という国がありまして、この国の王が西洲の天竺国・天姥摩利支という女子とまぐわい、天姥摩利支は九人の子を生んだ。

この九人の子、成長して羽のある車に乗り込んで中原にやってきまして、文明というものを伝えた。人民はその車や着ているものをかっこいいと思い、ついに推して王とした。これが「人皇氏」である。

人皇氏は天下を九に分けて、九人で分担して治めたので、九皇氏ともいう。

人皇氏は一日は三食にすべきことや男女が自ら配偶を得て一男には一女を配すべきことも定めた。

次に兄弟五人あり、このころちょうど、水族の中に変化測りがたき至霊のものが生まれた。名付けて「龍」という。五人の兄弟はそれぞれ一匹の龍を従えて空を飛んだので、人民たちは五龍氏と呼んでこれに服した。

次に摂提氏五十九姓の者が山川ごとに地を分けて、それぞれ一区域を治めた。続いて合雒氏、これは天下を三地域に分け、飛ぶ鹿に乗って治めた。このころ、亀が背中に「図」といわれる神秘の符号を背負って雒の地に現れたのである。

このころは

君民同是穴居、無分高下、乃定其制。君長居山洞岩穴、下民仍居土窟。

君民同じくこれ穴居し、高下を分くる無く、すなわちその制を定む。君長は山洞岩穴に居り、下民はよりて土窟に居る。

君主も人民も同様に穴を掘って暮らしていて、身分の高い低いにかかわらなかった。そこで、制度を定めた。これ以降、君主や酋長は山の岩穴に住み、身分の低い者どもは土に穴を掘って暮らすようになったのである。

その後、巨霊氏が天下を治めたが、このとき「五丁力士」(五人の男らしい怪力人間)が出現した。五丁力士ははじめ巨霊氏の招きを拒んでいたが、やがてその請いを受けて山を開き沢を平らにする大功績をあげ、ことが終わった後は蜀の山中深くに隠れ住んで、神仙の修行に入った。

このあと次々と君主が立ったが、やがて黄神氏の世に至る。

黄神氏は位にあること三百四十年、すがたかたち全く老いることなし。すなわち、はじめて「性・命の道」(人間の本質と使命を自覚して生きること、道家の修養)を知ったひとである、やがて巨神氏に位を譲って深い山中に隠れた。

巨神氏は六枚の羽を持つ羊に乗って、天下を電光のような速度でめぐりながら治めた。治世三百年である。

次いで犂霊氏は数世にわたって位を世襲す。卒すると東の荒野になきがらを野ざらしにする例であったが、百年を経ても腐敗することがなかった。

大鬼氏は武羅という臣下を得てあとを彼に託して隠棲した。後の世のひとが彼に逢ったが、位にあったころよりずっと若返って子どもとなっていた。

武羅生而有神、人面豹文、小腰白首。

武羅は生じて神あり、人面にして豹文、小腰にして白首。

武羅というひとは生まれつき神秘的な力を持ち、人間の顔をしていたが体に豹のような模様があり、腰が細く、髪は白かった。

彼はあるとき、山中で、ケモノにまたがった男と出会った。その名を問うに「野民の薫池」という。その雰囲気が温か柔らかいのを見て、武羅は彼に位を譲って隠棲した。

これが弇茲氏である。

其所乗之獣曰夫諸、状如白鹿而四角。

その乗ずるところの獣を「夫諸」といい、状は白鹿の如くして四角なり。

その乗っていたケモノは「フショ」というものであった。その姿は白い鹿に似ており、角は四本ある。

泰逢氏、冉相氏、大敦氏を経て泰壹氏に至る。

泰壹氏は「皇人」とも称され、よく天下を大同に導き、完全なる平和を保つこと四百年。その長男の都、末子の章とともに天中山に隠れた。

次に空桑氏、神皇氏、次民氏、辰放氏。

辰放氏は、父から子へと王位を世襲した。

有巣氏は民に樹上に巣を作って棲むことと狩猟とを教えた王であり、燧人氏は民にものに火を通してから食うことと、縄を結んで記録を伝えることを教えたのであった。

この燧人氏のとき、不周の山の夜明け時に、三本足の黄金のカラス(←八咫の烏を思い出させる)が、クチバシ長く赤い目をして、南の大木の上で「丁、丁」(ティン、ティン)と鳴いた。鳴いてきらきらと光り輝き、南の野に遥かに飛び去ってしまった。燧人氏、これを見て空中に火気があり、これが樹木に宿っていることを察し、これより季節の移り変わりに応じて「天候に合致した火をつくる」ことをはじめたのである。

天候に合致した火は五種類あり、春には柳の木を、夏には棗・杏、夏の終わりには桑、秋には楢の木、冬には檀の木を使って火を鑚ったのだ。火を鑚ることは、鳥がクチバシで木をつつくことを真似て、木に堅いものをこすりつけて、はじめは烟を吹き出し、やがて火を取り出す方法を得たのである。

有巣氏のときには人民はまだものに火を通して食うことを知らなかったが、燧人氏は火を使って、あぶったり焼いたり煮たりして食うことを発明した。これにより人民は大いに利益を得たのである。また、木の器は水分がにじみ出ることから、民に金属を型にして粘土を練り、器や皿の焼き物を作り入れ物やこしきやカメを製作したのである。このことで、

火之功用弘矣。

火の功用弘まれり。

火はさらに役立つようになった。

まさにこれ、

火体既明方可用、  火体既に明らかにしてまさに用うべく、

窯坯未煉不能堅。  窯坯(よう・ひ)いまだ煉られざれば堅きことあたわず。

 火というものは明るく光を放つようになって、やっと利用することができるのだ。

 かまどや炉は何度も火で焼かれなければ、堅まって丈夫になることができないのだ。

ということでございます。

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第二節終わり。いろいろ考えるものですね。

なお、わたくしごとながら、現地がたいへんみたいです。三か月ぐらい現地行って手伝ってくるかな。

 

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