今日はちょっとだけ暖かかったような。そろそろ春が来るといいのですが・・・。
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これは江戸時代のことですよ。
越後のひと、保科士蔵がわし(※→下記参照)に言うことには、この間、江戸府内で次のようなことがあったということじゃ。
一席匠執業某寺門。
一席匠、某寺の門にて業を執る。
むしろ編みのおやじが、某という寺の門の前で作業していたのでございます。
このおやじ、作業しながら、寺の門柱に一匹の小さなヘビがよじのぼっていくのを目にした。
ヘビは柱の上部のいわゆる「ますがた」(斗拱)のところまでよじのぼると、突然、
奮尾旋旋然、声如麥札鳴。
尾を奮うこと旋旋然として、声は麥札の鳴くが如し。
しっぽをぶるんぶるんと振り回しはじめた。すると、にいにいぜみが鳴くような音が出たのだった。
麥札(「札」と表記した文字は実際には「札」の下に「虫」)は「和漢三才図会」に「アヲゼミ」とあり。「本草綱目」にいう、「小にして文(模様)のある蝉なり」と。
―――なんだ? どうしたことじゃ。
その声、だんだんと大きく、速くなってきた。
さらに声清らかで、何かをいましめるように強くなった。
まるで、
穿耳。
耳を穿つ。
耳に穴があくようであった。
―――こいつは、いったい・・・。
むしろ編みのおやじ、ここに至ってこのヘビの尋常でないのに気づき、その姿を凝視するに、
有気如烟非烟。
気ありて、烟のごとく烟にあらず。
なんだか、けむりのような気体を吐き出した。
微風従至。
微風したがいて至る。
すると、かすかな風がそよぎはじめた。
―――何が起こるのであろうか。
と、息をつめているうちに、
須臾雲霧奔迫晦冥。
須臾にして雲霧奔り迫りて晦冥となる。
あっという間に、雲と霧が奔流するごとく立ち込めてきて、あたりいったい真っ暗になったのだ。
―――!
驚く間もあらばこそ、
雨迅電激、震雷裂地。
雨迅く電激しく、震雷地を裂く。
どっと雨が降りそそぎ、いなずま激しく空を走り、―――落雷が大地を引き裂いた!
ちなみに以前どこかでも触れましたが、「電」はかみなりの「ひかり」(いなびかり)、「雷」はかみなりの「音」、「震」はその落雷して地を揺るがす、をそれぞれいう語であります。
―――うわ!
雷光に一瞬目がくらんだ。
・・・それから数呼吸のうちに、もうあたりは静かになり、雲の間から日の光が差し込み始めた。
そのときにはもうヘビの姿はどこにも見えなかったのである。
おお。
異哉。龍吟不以口而以尾耶。
異なるかな。龍の吟ずるは口を以てせずして尾を以てするや。
不思議なことではありませんか。龍は口でうたを歌うのではなく、尾でうたを歌うたというのだ。
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「そうですか」
わし(※)は保科某の話を聞き終えて、煙管に新しい葉を詰めると火をつけた。
そして、一口二口吸うてから、言うたのだ。
「保科さん。わたしは
龍非得尺木不能致雲雨。
龍は尺木を得るにあらざれば、雲雨を致すあたわず。
龍は(雲と雨を呼ぶ潜在能力を持っているが、実際には)さしわたし一尺以上もあるような巨木に昇らないと、雲や雨を呼ぶことができない。
と聞いたことがござる。そのむしろ職人の見た龍は、そばに適当な木が無いゆえ、寺の門柱によじ昇ったということだ。
龍はうろこのついたドウブツのかしら、最も能力の高いものである。
それであっても、そのような立派な木に寄らないと雲や雨を呼ぶことができないのだ。
然則士之有抱負而困於泥土者、其洵可悲夫。
しかればすなわち、士の抱負ありて泥土に困ずる者は、それまことに悲しむべきかな。
それならば、いかに志も才能もあるおのこであっても、(誰にも見出されることなく)立派な組織に拠ることもできず、泥のような低い地位に沈んでいるのであっては、なにごとも為すことができないであろう。なんとも悲しいことではありませんか」
と。
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慊堂・松崎退蔵「龍吟」(「近世名家小品文鈔」所収)。
※松崎慊堂(こうどう)は肥後・益城郡木倉村のひと、よって「益城」(えきじょう)や「木倉」(もくそう)とも号した。明和八年(1771)の生まれ(異説あり)、弘化元年(天保十五。1844)卒す。はじめ僧となり、次いで江戸・昌平黌に学んで林述斎の学統を継ぎ、掛川藩孺となる。後、江戸城西・羽沢村に隠棲して「石経山房」を開いた。その学問は該覧にして博通、最も経典の意義に深く、年五十に至って朱子学からさらに考証学に転じた。特に文字の義を窮めたひとである。詳しいことは筑摩書房・東洋文庫の「慊堂日録」でも讀んでください。長いよー。
今年は辰年なので、その記念にご紹介してみました。ほんとは「旧正月」にでもご紹介するとよかったのでしょうが、忘れるといけないので。
「たつどし」
といわれると
「ああそうですか」
で終わりですが、
「十二年に一度のドラゴン・イヤー」
といわれると
「なんだかすごい」
という気になってきませんか。
・・・・わたしはなりませんけどね。しつこいようですけど、「辰」は「ハマグリのような二枚貝が少し開いて、吸水口と排水口を出している状態」の象形であって、「龍」とは関係ないのです。二枚貝は「農」の字にも使われているように、いにしえは農具として使われたという。宝物ともされた「貝」はサザエ型の巻貝。