ちょっともうだめだ。てんぱってきた。
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世人皆醒時作濁事、安得睡時有清身。
若欲睡時得清身、須于醒時有清意。
世人みな醒時に濁事をなさば、いずくんぞ睡時にある身を清くするを得ん。
もし睡時に身を清くするを得んとせば、すべからく醒時に意を清くするあるべし。
世間のみなさま、起きているときにおかしなことばかりやっているのだ、どうして睡眠中だけすっきりとしていることができようか。
もし睡眠中にすっきりしたいと思うなら、起きているときに思いをすっきりさせておらねばならぬのだ。
と昔のひとが言うておられます。
しかし最近しごとのことで夜眠れなくなってしまっているので、起きているときに清らかでいたってしようがない気がするのである。
年末ですが、今日から部下の若いのが病気で休むこととなった。どういう形で責任をとればよいのか、考えているところである。
ううー、どうすればいいのだ?
天下無難処之事、只要両個如之何。
天下無難処之人、只要三個必自反。
天下に処しがたきの事無し、ただ要す、両箇の「これ如何せん」を。
天下に処しがたきの人無し、ただ要す、三個の「必ず自ら反す」を。
世の中にどうしようもないことはない。ただ、二回の「どうすればいいのだ?」は必要だが。
世の中にどうしようもないひとはない。ただ、三回の「自己反省」が必要だが。
ともむかしのひとが言うておられます。(いずれも「小窗幽記」巻一)
三回の自己反省は、これは論語の「曾子三省」を言っているのだな、とすぐ解けたが、二回の「これ如何せん」がわからん。
追い込まれているので今日はもう無理。明日までに調べます。(とりあえず、冬なのに早起きするのは無理。)
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曾子三省
曾子曰、吾日三省吾身。為人謀不忠乎。与朋友交而不信乎。伝不習乎。
曾子曰く、吾、日に吾が身を三省す。人のために謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。習わざるを伝えしか。
(孔子の高弟の)曾参先生がおっしゃった。
「わしは、毎日、三つのことについて自分のことを反省するようにしておる。一つには、他人のために物事を考えてやるにあたって、真心から考えなかったのではないか、ということ。二つには、友人と付き合っていくときに、まことを尽くさなかったのではないか、ということ。三つには人に伝授するばかりで、自分で何度も繰り返したのでないことを、ひとに教えてしまったのではないか、ということ。」
という、有名な(三省堂の名前のもとにもなった)言葉です。(「論語」巻一)
ただし、上のようにたやすく読み下して訳してみましたが、実は「論語」といいますか古典を読むおもしろさをたっぷり含んだ文章です。
たとえば次のように訳すこともできます。みなさんはどちらが「正しい」と思いますか。
「わしは、毎日、三回は自分のことを反省するようにしておる。その際、次の三点をチェックするようにしている。一点目は、主君のために働いているつもりでも、実は主君のためになってないのではないか、ということ。二点目は、友人だと思って付き合っていても、実は相手のことを信用していないのではないか、ということ。三点目は、知識として持っていることを他人に教えるばかりで、実は自分は何も勉強をしていないのではないか、ということ。」
と、いい気になってこんなことを紹介できるような状況でも人間でも無かった。てんぱっているのであった。