昨日からF島にしごとに。もう雪が積もっています。寒いよ〜。
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まったく、歳晩れて松柏のひとり凋むに後るるを知る季節になりましたなあ。
この年で異郷に歳の晩れを迎えるのは、また一段と寂しさ侘しさに感じ入ることである。
しかし、若くして異郷に歳の晩れを迎え、
濤声到枕欲明天、 濤声枕に到る 明けんとするの天
感慨撫胸独不眠。 感慨し胸を撫してひとり眠れず。
波の声が枕もとまで聞こえてくる。もうそろそろ夜明けの時間であろうか。
さびしさともいきどおりともつかぬ思いで昂り、おれは何度か胸を撫でてみたが、いままで眠れなかったのだ。
というひともいるのである。
彼の思いとは何であるか。
一剣未酬亡国恨、 一剣いまだ酬いず、亡国の恨み、
北辰星下送残年。 北辰星下に残年を送る。
このひとふりの剣で、國を滅ぼされた恨みを晴らすこともいまだできず、
北極星の下に、おれは―――、おれはまだ命永らえているのだ!
安倍井塔厳「箱館歳晩」(箱館にて、歳の晩れに)。
安倍井塔厳を、わたしは先々週ぐらいまで知りませんでした。ほとんどのみなさんも知らないでしょう。知っていたのは、F島のST兄ぐらいであろうか。
会津藩儒・藩校日新館教官にして、戊辰年に藩より遣わされて奥羽列藩同盟の結成のために東北各藩を遊説す。
遊説の間に仙台において会津落城を知り、旧幕軍に投じて松前に渡って、いわゆる箱館戦争に参加。
明治元年末に、函館で作ったのがこの詩である。
翌明治二年、矢不来(やぎない)の一戦にて戦死。時に年三十三。
昌平黌の同窓でもあった榎本武揚があたら人才を死なせてしまった、と嘆じたという。
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だいたい間島勲「会津の漢詩」(会津若松市史・15「会津の文学」(2001))に拠った。
わたしどももまた自分の國をこんなにされてしまったのに、その責任者に責を問うこともなく、まだ生きながらえているのだ、というべきかもしれぬ。非常時には後回しでよいが、非常時が終わったのなら、そろそろ責を問わねばならぬのではないか。そうだ、一剣を持って来年こそは・・・。
F島のしごとをすることが無ければ塔厳を知ることも無かったのだろう、と思うと、何となく納得してしまいます・・・が、F島のしごとをしていなければ、また別のどこかで、知らなかった詩人のことを知っていたに違いないので納得しない。冬はやっぱり宮崎とか和歌山あたりの詩人のこと知りたいなー。高知も弱いんですお。
なお、今年の宿題は今年のうちに―――
ということで、一昨日の宿題を返しておきます。
「両箇如何」・・・・・・・・・・・・・・・・・
漢の高祖がまだ沛公と言っておりましたころ、秦の都・咸陽に先に入った沛公は、函谷関を閉ざして楚王・項羽の入るのを拒んだ。これに激怒した項羽は沛公を撃たんとして新豊・鴻門の地において兵を整える。項羽の一族である項伯は、沛公のもとにある若いころの親友・張良の身を慮って単騎咸陽の街に入り、張良に沛公のもとから離れるように忠告した。
張良は話を聞き終わると、項伯の意に謝するとともに、
今事有急、亡去不義。
今、ことに急なる有りて、亡去するは不義なり。
「ここに至って一大事が起こったからといって彼のもとから逃げ出しては、義理を欠くとそしられよう」
と亡命を拒否し、沛公に面会を求めて、このことを告げた。
沛公大驚、曰為之奈何。
沛公大いに驚きて曰く、「これを奈何(いか)ん為(せ)ん」。
沛公は聞いてびっくりぎょうてん、張良に言うた、「ど、どうすればいいのじゃ」と。
張良は表情もかえずに言うた。
「あなたは誰に教えられて函谷関を閉ざしたのですか」
「鯫生じゃ。やつが、函谷関を閉ざせば秦の地はすべてわしのものになる、と教えたのじゃ」
「あなたは、自分の能力、自分の率いる軍、いずれかにおいて項羽どのに勝っているとお思いだったのですか」
沛公答えて曰く、
固不如也。
もとより如かざるなり。
「ぜんぜん、かなわん」
張良、嘆息しつつ曰く、
「これに懲りて今後は小人の言は聞かぬことですな」
沛公、真顔で頷いた。
そして、張良ににじり寄り、言うた。
且為之奈何。
まさに、これを奈何(いか)ん為(せ)ん。
「それで、ど、どうすればいいのじゃ」
そこで、張良はようやく言う・・・・・・・以下、有名な「鴻門の会」の場面に移り、沛公は張良、項伯、樊噲らの智慧と度胸で危機を脱することができたのであった―――!
以上、司馬遷先生が見て来たように語っておられます。(史記・巻七「項羽本紀」)
二回、「これを如何(奈何)せん」が出てきていますね。
一昨日の「小窗幽記」の言葉
天下無難処之事、只要両個如之何。
天下に処しがたきの事無し、ただ要す、両箇の「これを如何せん」を。
世の中にどうしようもないことはない。ただ、二回の「どうすればいいのだ?」は必要だが。
人生の難事には、沛公が張良にしたように、おのれを空っぽにして人に頼るのもあり。そこまでして解決できぬ難事は無い・・・ということだ。
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ああ、しのぎを削る立派な方々の間で右往左往して生きていくのはもうダメです。こういうことばかりを語って生きていきたいお。誰か「御伽衆」として雇ってくれぬものか。