どんどん寒くなってきますね。
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周の文王は太公望と出会った後、太公望を周の東部にあった灌壇という小さな都市の令に任じたのだそうである。
それから一年、この灌壇の町では、
風不鳴條。
風、條を鳴らさず。
風が木々の枝を鳴らすほどにも吹かなくなった。
毎日穏やかな天気になりましたのじゃ。
そんなある日、文王がぶうすかと夜寝ておりますと、夢かうつつかに枕元にたいへん美しい女性が立った。
その女性は泣いているように見える。
文王、
「何か哀しいことがありますのかな?」
と問いかけると、女性は言うた、
我東海泰山神女、嫁為西海婦。
我、東海泰山神の女にして、嫁して西海の婦たり。
わらわは東海(山東)の泰山の神のむすめでございます。今、西海の神に嫁入りしております。
ほう。これはびっくり!
・・・と、少しおどろきましたのは、古代の地理書「山海経」には、東海、南海、北海の三方には海があり、それぞれ鳥の身体とか青い蛇を耳環にするとか赤い蛇に乗っかっているとか、変な神様がいると書いてありますが、「西海」の記述はない。「西海」が存在し、世界は「四海の内にある」という考え方が定着するのは戦国末から漢代のことと考えられております。
ので、周の文王の時代にもう西海神がいたのか・・・ということに疑問を持ったからである。
が、このお話は、晋の張華の「博物志」に載っているお話です。そのころには「四海」説はもう「当たり前のこと」になっていましたから、そのころのお話に周の文王が「四海」説を採っていた、と書いてあってもしかたありませんでしたネ。自己解決。
・・・さて、泰山神のむすめは続けた。
「先だって、夫から許しがあり、わらわは実家に帰って父上や母上のお顔を見ようと思いましたの。
ところが、泰山まで帰る道筋には、灌壇の町があります。灌壇の町の令はあの太公望・呂尚でございます。
太公望有徳。
太公望、徳あり。
太公望は強いチカラをお持ちです。
その支配する地は、風が木々の枝を鳴らすことも無いほど、穏やかに治まっているのでございます。
吾不敢以暴風疾雨過也。
吾、あえて暴風疾雨を以て過ぎざるなり。
わらわが通り過ぎる時、地上には暴風と驟雨をもたらすことになるのです。このため、太公望の治める土地を通れないのよ。
何とかしてちょうだいよ」
文王目覚めて、太公望に使いを出して施政の状況を報告しに来るように命じた。
太公望は大急ぎで周の都にやってきて、施政の状況を報告する。
文王は報告を受けると、すぐに灌壇に帰さず、宴会を開いてその労をねぎらった。
翌日も帰ろうとする太公望を引きとめて、夜、宴会を開いた。
かくのごとくすること、三日三夕。
四日目に、司天官があわてて宮中にやってきて、報じていうに、
有疾風驟雨去者、皆西来也。
疾風驟雨し去るものあり、みな西より来たれり。
「はやての風と激しい雨が、この都を避けるように、西から東に通り抜けていきました。
各地より被害の報告がございます」
「灌壇はどうか」
「灌壇の町は暴風雨の通り道に当たり、大きな被害が出ております」
「なんじゃと!」
太公望は立ち上がり、すぐさま任地に戻ろうとしかけたが、文王はやおらそれを押とどめ、
「やはり、おまえはまことの賢者であった」
と
拝太公為大司馬。
太公を拝して大司馬となす。
その場で太公望を軍事・警察の最高官である大司馬に任命した。
もうほとんど「小説」に堕してしまっているけど、それでもこのお話の背景には、古代の神官王が、夢見によって神の言葉を伝えていたころのかすかな記憶もあるのかな?
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教訓としては、天気いいと困るひともいる、ということですよ。明日から三日間、おそろしく寒いらしいです。クリスマス中止らしい。天気悪くて残念でしたねーー、イーヒッヒッヒッヒッヒ・・・。
今宵も強い北風に木々の枝はざわめいております。かなりうるさい。世の中が平和でよく治まっていることを「天下、鳴條せず」と申しますが・・・。