平成23年12月22日(木)  目次へ  前回に戻る

 

冬至です。寒いですね。ひとの温もりが懐かしくなる季節ですのう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

南宋の高宗皇帝(在位:1127〜62)の御代のことである。

帝の側近、王益はあるとき、関西出身の男を帝に推薦した。

この男、精悍にして短小(チビ)であったが、棋をよくする。

帝のもとにはすでに國手(國一番の名手)とされる某があったが、王益は

「その棋力、國手どのとも遜色あるまいかと・・・」

「ふむ」

帝はしばらく考えるふうであったが、やがていたずらっぽくお笑いになると、

「わかった」

と承知して、それから、王益になにやら耳打ちした。

益、

「なるほど・・・」

と頷いたのである。

・・・國手と関西の男は、翌日、勝負することとなった。勝負は二番である。

その晩、関西の男のもとに使いの者があった。

―――さるお方さまより、ぜひ一献差し上げたく・・・。

というのである。関西の男、自分もいよいよそういう身分になったかと誘いに乗って出かけた。

招き入れられた部屋には、品の良さそうな初老の白髪の男が待っていた。

「ようござった。わしは某と申す。明日、おぬしに手合せいただくことになっている者じゃ」

「む。・・・國手さまか・・・」

思いがけなくも、これは明日の勝負の相手であった。

國手は手を打って、杯を持ってこさせた。

杯になみなみと酒がそそがれる。

しかし、関西の男は、その杯よりも、それを注ぐ女に目が止まる。

極妍靚。

極めて妍靚なり。

ぞくぞくするほど、あでやかで、美しいのである。

関西の男は女の勧めるままに杯を重ねた。

「のう、関西のお方、もしおぬしが肯うてくれれば、の話じゃが・・・」

「な、なんでござろう?」

「実は・・・、

此吾女也。我今用妻爾。

これ、吾が女なり。我、今もって爾と妻あわさん。

このふつつかものは、わしのむすめでござる。もしよろしければ、これをおぬしにもらっていただきたいのじゃが・・・」

「!」

関西の男、息づかいが荒くなった。

女は、そっと目を伏せる。そのさま、まことに楚々として好もしい。

國手、そのさまを見て、目を細めて言う、

「まことによう似合うておる・・・。どうであろうか、

来日于御前饒我第一局、吾第二局却又饒爾。

来日、御前において、我に第一局を饒せよ、吾、第二局は却ってまた爾に饒せん。

明日、帝の前での二番勝負、第一番ではわしに勝ちを譲ってくれ。第二番はわしがおぬしに勝ちを譲ろう。

さすれば、わしとおぬしはほとんど互角と認められ、このまま二人とも「國手」の称号を得ることができるじゃろう。そして、

我与爾永為翁婿、都在御前。

我と爾と、永く翁婿たること、すべて御前にあり。

わしとおまえは、永久に舅と婿に―――それは明日の御前での一番での、おぬしの振舞いにかかっておるのじゃ・・・」

―――翌日。

帝と王益の前で、國手と関西の男の二番勝負が始まった。

第一局、序盤はほとんど互角のままに進んだ。中盤、わずかに関西の男が有利になる。そこからは、一進一退。一手ごとに情勢が変わる。みごとな勝負であった。

終盤にさしかかったころ、國手が妙にそわそわしはじめる。

そして、ちらり、ちらり、と何度か関西の男の方に不自然に視線を送る。

関西の男、何度か視線を合わせ、徐々に落ち着きを失う。

そして、ある決定的な場面で、大きく息をつくと、手を震えさせながら、悪手を指した。

國手、一瞬目を伏せると、有利になる石を置いた。

これで勝負はついた。わずか一目だけ、だが、あとはどうあがいても関西の男は一目だけ負ける―――

と、その瞬間、

上拂衣起、命王且酌酒。

上、衣を拂いて起ち、王に命じてまさに酒を酌ましむ。

帝は、衣をばさばささせて立ち上がり、王益に酒の用意を命じた。

國手は静かに石を仕舞い込み始める。関西の男は茫然として帝の方を見た。

帝、振り向きもせずに吐き捨てるように言う、

終是外道人、如何敵得國手。

ついにこれ外道の人、如何ぞ國手に敵し得ん。

「おのれの道に外れたくずよ。國手の相手にふさわしいタマではないわ!」

関西の男、王宮から追い出され、王益の邸に赴くも門番に取り合われず、國手にもとより娘などなく、昨日の女は宮中の教妓坊の踊り女であることを聞かされた。

ここにおいてようやく

知為所売。

売るところとなるを知る。

はめられたのだ、と気づいたわけだ。

男はその後いくばくも無くして、

郁悶不食而死。

郁悶して食らわずして死す。

鬱々と悶え、食を絶って死んでしまった。

という。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは葉紹翁「四朝聞見録」巻二に書いてあった。そんなおもしろいことがほんとにあったはずはない・・・と思うのですが、「四朝聞耳録」はそこそこ信頼性に高く、また如何にもありそうなお話にも思えます。とりあえず、@ただのお酒とAいいオンナ、それにB雲の上の方のお偉方―――これらには本来わしらは縁の無い存在のはず。そんなのが一つでも近くに来たら

「これはおかしいのう」

と気づく分別だけは持ちたいものですのう。

のう。のう。

 

表紙へ  次へ